校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

11月14日・15日 聖フィリピン・デュシェーン祝日

2023.11.15

 聖心会の2番目の聖人、聖フィリピン・デュシェーンの祝日が巡ってきました。18日が正式な祝日ですが、学校行事としては14日にサードステージ生が、15日にはセカンドステージ生が聖堂で祈りを捧げました。ファーストステージ生は16日に祝います。聖堂には聖フィリピン・デュシェーンのご絵を飾り、ソフィア委員会の生徒たちが聖フィリピン・デュシェーンの生涯を振り返る文章を読み、祈りました。この祝日の一日、児童・生徒は聖フィリピン・デュシェーンのシンボルカラーと校内で定めているオレンジ色のリボンを胸につけています。セカンドステージ、ファーストステージではそれぞれ卒業生を招いての講演会も行い、聖フィリピン・デュシェーンのように広い視野をもって生きることを目指します。

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 聖フィリピン・デュシェーンの祝日おめでとうございます。

 聖フィリピン・デュシェーンが聖心会の二人目の聖人であることは、皆さんもよく聞いていることです。では、聖人にはどのようにしてなっていくか、知っていますか?自ら聖人と名乗ることはできません。聖人はカトリック教会の中で正式に認められた方の称号です。神様のみこころを生きた方ということです。聖人には、教会でリーダーシップを発揮するような方もあれば、人目につかないところで非常に信仰深く生きた方もあります。それぞれ亡くなられた後に、周囲の人々がその方を思い起こして、とても聖なる生き方をした方、深く神様を信じ、神様に従って、神様と共に生きた人だったと強く感じて、教会に聖人として認めていただくよう働きかける動きが起きてきたときに、聖人となっていきます。亡くなられた後に、その人の生き方が人々の心に強く残っている、神様に近い方だったという記憶が人々の間に非常に強く残っている、つまり、その人は生きている間に周りの人々に非常に強いインパクトを与える方だったということです。

 聖フィリピン・デュシェーンが亡くなられたのは1852年、83歳で、聖人と認められたのは1988年です。100年以上の時間がかかりました。聖マグダレナ・ソフィアはもっと短期間で聖人と認められています。聖マグダレナ・ソフィアが亡くなられたのは、1865年で86歳でしたが、周囲には聖マグダレナ・ソフィアを慕うたくさんの人々がいました。聖人に認められたのは1925年でした。

 聖フィリピン・デュシェーンの場合はどのようだったのでしょうか。聖フィリピンが先住民のポトワトミ族のところで生活したのは1841年でした。その時すでに72歳で、主に祈りに心を尽くしました。聖フィリピンは最初にアメリカに渡り、苦労して聖心の学校を開いていきましたが、聖フィリピンの携わる学校よりも、聖心会の他のシスターの運営する学校の方が発展していくという現実がありました。リーダーシップの上でも意見の相違があり、聖フィリピンは必ずしもものごとがうまく行く人ではありませんでした。自分自身、失敗の意識も持っていたようです。つまり、成功体験に恵まれた方ではなかったのです。しかし、本人の意識にかかわらず、現実のものごと成功や失敗にかかわらず、聖フィリピンと接した人々の心には、聖フィリピンが神様にとても近く、誠実に生きた人だったという記憶がとても強く残りました。聖フィリピンがとても誠実だったこと、真剣だったこと、まっすぐだったこと、強い信念をもっていたこと、弱さもあったけれど温かみがあった、目先のことに惑わされず本当に大事なことを求め続けたなどのことがあったでしょう。自慢したり、成功を誇ったりせず、いつも弱い人の立場に立っていたということもあったでしょう。

 聖フィリピンが1年間一緒に生活した、先住民ポトワトミ族の人々は聖フィリピンが訪ねてくる3年前に、2ヶ月間のとても苦しい旅を経験しています。859人の人々が1000㎞以上を徒歩で移動して、その間には40人以上の主に子どもたちが亡くなったという悲しみの大きな旅でした。シュガークリークという平原に到着し、生活をすることになりました。現在も何もないところです。聖フィリピンがそこに行ったとき、人々は苦しい記憶をたくさん抱えていたでしょう。聖フィリピンは自分が行くところがどのような場所であるか、あらかじめ知っていたはずですが、実際にポトワトミの人々に出会って人々の悲しみや辛さを深く感じ取り、祈りを捧げました。非常に真剣な祈りだったでしょう。自分が何かするいうことはできないなか、人々のために祈り、生きる力を支えていました。自分は人々のために現実的に働くことに参加できていない、という負い目を感じていたかもしれません。しかし、この聖フィリピンの祈りが人々の心に深く残りました。このように考えると、聖フィリピンが多くの失敗に苦しんだ経験が、人々の苦しみや悲しみを感じ取る力になったかもしれないと思わされます。

 私たちは一人ひとり異なる良さを神様からいただいています。いただいた様々な力の中で、手応えを感じやすいものもあれば、なかなかうまくいかないものもあるかもしれません。人には知られない、自分だけにしかわからないものもあるかもしれません。

 聖フィリピンの生き方から私たちが学ぶのは、成功や失敗、うまくいくかどうかにこだわらず、誠実に生きようとすることの意味深さ、自分に正直でいようとすることの大切さです。

 神様は私たちが誠実に生きようとするとき、いつも見守っていてくださいます。そして、まわりの人にも、その心は伝わります。

 このことを今年の祝日に皆さんと一緒に心にとめたいと思います。

 

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