校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

11月7日中高等科朝礼 聖フィリピン・デュシェーン ほんものを求める心

2023.11.07

 聖フィリピン・デュシェーンの祝日が来週に近づいてきました。11月18日です。聖フィリピン・デュシェーンは聖心会の二人目の聖人として大事な人物であり、学校では14日にサードステージ、15日にセカンドステージで祈りを捧げます。祝日に向けて聖フィリピンについて考え始めることにしました。

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 この秋に「旅するローマ教皇」という、教皇フランシスコの世界中への旅についてのドキュメンタリー映画が公開されました。機会を得て見に行くことができました。

 教皇フランシスコは9年間で37回の旅をして、53ヶ国を訪問しています。この映画の中で、教皇フランシスコが旅をして出会いに行くのは、困難な状況にある人、見逃されそうな人々、問題を抱えている人たちでした。難民や、スラムに住む人々、刑務所で服役している人々、イスラム教の指導者など、色々な人に会いに行き、心を込めて語り、共に祈っています。日本を2019年に訪問された時の場面には、広島で被爆者と一緒に祈っている姿が選ばれていました。

 この映画で一つとても深く心に残った場面がありました。それは、教皇フランシスコが去年の7月にカナダを訪問したときのものでした。教皇はカナダに先住民の人々に会いに行きました。いわゆるインディアンの人々です。この旅で、教皇フランシスコは歴史を振り返って、先住民に対する教会の過ちを誠実に謝罪しようとしていました。過去のカトリック教会が先住民の人々に対して偏見をもった対応をし、先住民の人々の文化や信仰を尊重せず、白人の文化を押しつけてしまったこと、子どもたちに対して強制的な教育をしたことなどです。子どもたちを親元から離して、寄宿学校に集めて西洋文化による教育をしました。映画の中では、教皇フランシスコが人々に謝っている姿と同時に、過去の教会の活動の古い写真がたくさん出てきました。学校の写真、子どもたちの写真がありました。良い学校もあったかもしれませんが、子どもたちを大切にしない学校もあり、苦しんだ子どもたちのこと、今もこのことで苦しみ続けている人がいることなど様々なことがわかる写真がありました。神父やシスターが子どもたちと一緒に写っている写真もあって、私はとても心苦しくなってしまいました。当時の人々が、良いことと思い込んでいたことでも真に人々のためにはなっていなかった、大変な思い込みと押しつけだったということです。

 さて、聖フィリピン・デュシェーンはどうだったのでしょうか。聖フィリピン・デュシェーンは先住民の人々にイエスのみこころを伝えたいと思って、アメリカ大陸に渡りました。聖フィリピンも結局は押しつけがましい白人の一人だったのでしょうか。私は心配になりました。

 カナダの先住民の子どもたちの寄宿学校は、聖フィリピン・デュシェーンの生きた時代よりもう少し後に制度として確立していきました。聖フィリピン・デュシェーンの時代のアメリカは、先住民の人々を排除し、隔離する政策をとっていました。先住民の人々をもともと住んでいた土地から追い出して、辺鄙な奥地、白人が住みたいと思わないような遠い場所に強制的に移住させました。先住民たちは土地を奪われて、過酷な旅をさせられました。土地を奪うことは文化の破壊でもあったでしょう。聖フィリピンはその奥地へと追いやられた人々を訪ねていったのです。社会から疎外されて、追いやられた人々でした。そこで1年間生活し、祈る以外は何もできなかったということですが、人々と共に生活しました。しかし、聖フィリピンはその何もできない姿で、奪われた苦しみを人々と共にしていたのかもしれません。そのように考えると、聖フィリピンが行ったことは目先の役に立つことや成功でなく、人間にとって本当に大事なことだったと言えるのかもしれません。本当に苦しむ人に寄り添うことです。

 時代として先住民のための寄宿学校が成立する前の、はざまの時期に聖フィリピンは生きていたとも言えます。そのような時代にも、聖フィリピンの行動は周りの人には無駄なこと、何の役に立たないことに見えたかもしれません。でも、私はこの映画を見終わって、聖フィリピンがほんものを求めていてくれたことに改めて感謝する思いをもちました。

 皆さんも祝日に向けて、聖フィリピンのことを思い起こし、ほんものを求めることについて考えていってください。

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