校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

9月1日 中高等科集会 

2023.09.02

 中高等科も始業日を迎えました。上のイラストは生徒からの便りの一枚です。

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 とても暑い夏になりました。元気に過ごしていましたか?たくさんのお便りをいただきました。ありがとうございます。今年の夏は色々な活動をすることができたでしょう。学年の宿泊行事もそれぞれに充実していたと思います。7年生、10年生も学校での活動が楽しめたと思います。暑い中、部活動に励む皆さんの姿も心に残りました。試合があった方たちもいるでしょう。試合は結果にかかわらず、仲間と一緒に一生懸命に活動できたこと大切です。

 今日からの学校生活では、夏休みの経験を活かしながら、新たに学んでいってください。しばらく暑さが続くかもしれませんが、仲間と共に学校で学べることを楽しんでください。今朝、登校してきたときに、この学校の緑に囲まれた環境の心地よさを感じ取ったことでしょう。正門と通用門から坂を上がって、丘の上に校舎があります。この夏休みに他の学校に伺う機会があって、改めてこの学校が環境に恵まれていることに気づきました。皆さんと一緒にこの学校の環境を大切にしていきたいと考えました。皆さんにとって学校が楽しく、仲間や友だちがいる、生き生きできる場所であってほしいと願っています。

 今年は関東大震災から100年です。東京は大きな被害を受けました。創立115周年のこの学校は、その当時まだ新しい学校でしたが、この地震によって校舎・聖堂・理科室などが崩壊してしまいました。しかし、まだ休み中だったため、犠牲者はいなかったそうです。学校は9月の末まで休校になりましたが、テントや仮校舎を準備して10月1日に学校を再開すると300名の生徒が登校してきたということです。そして、12月には木造の仮校舎が完成しました。9月に授業ができなかったので、12月28日まで授業を行ったということです。冬休みは短くなりましたが、学校で学べることはきっとうれしいことだったでしょう。

 災害は怖ろしいことです。大きな地震がいつあるかわかりません。私たちは避難訓練をして、自分の身を守る術をもっている必要があります。しかし、災害で本当に怖いことは人々の心が不安になり、不確かな情報で人が動かされ、社会が混乱することがあるということです。関東大震災のときは、外国人に対する差別や暴力、虐殺さえあったと言われています。私たちはいつでも周りの人と共に生きていることを意識し、周りの人を大切にする存在であるよう心がけましょう。

 私はこの夏に、聖心の沈黙の特徴について問われて、考える機会がありました。皆さんは沈黙をどのようなものだと感じていますか?12年生は黙想会を経験して、沈黙の難しさを感じながらも、自分の体験として得るものがあったでしょう。嫌な沈黙もあります。人を無視し、無関心で誰も反応しない、このような静けさは嫌なものです。あるいは、沈黙を強いられるということも怖ろしいことです。しかし、私たちの学校の沈黙は皆で大切にするもので、耳を澄ませて人の話を聴いたり、心を落ち着かせて自分のまわりの存在に気づいたり、心を開いたりすることです。沈黙の中で皆さんは閉じこもってしまうのではなく、心が広がり、視野が広がっていくことも感じるでしょう。皆で静かにして、これから起こることを期待をもって待ったり、その場の力を味わったり、沈黙の豊かさをきっと感じていると思います。沈黙があるからこそ、よい関わりができます。

 今年は「私から私たちへ、対話:問いかけ、話し、聞く」を学校目標としています。今日からの学校生活で、対話を心がけましょう。対話は聴き合うことから始まると言われます。対話のためにも、聞く姿勢、沈黙が必要ということです。そして、対話には問いが必要です。相手の話をよく聞くからこそ、どういうことなのだろう、なぜこのような話し方をしているのだろうなど問いが生じてきます。それを相手に問いかけることで、対話は深まっていきます。

 一方的な関わりは対話になりません。残念ながら、私たちは一方的な関わりに陥ってしまうことがあります。皆さんがSNSを使って、友だちとコミュニケーションをとろうとするときはどうでしょうか。言葉が足りなかったり、やりとりのスピードが速すぎたり、相手のことが考えられていないことがないでしょうか。また、学校には残念ながら、近隣の方などから苦情の電話がありますが、そのような時には、皆さんが自分のことだけでいっぱいの一方的な存在になってしまって、そこに対話がなくなっているのでしょう。苦情の電話を受けると、いつも、皆さんには良いところがたくさんあるはずなのにと残念に感じます。どのような場合、状況でも、皆さんには周りの人の事を大切にし、対話の姿勢にある存在であってほしいと願っています。学校が再開して、皆さんが登校するようになり、聖心の生徒がもどってきて良かったと感じていただけるようになってください。

 今日の聖書の朗読では、ルカによる福音書の中のマルタとマリアの場面です。この箇所は有名なので、皆さんもこれまでに読んだことがあるでしょう。マルタとマリアの家にイエスをお迎えして、おもてなししようとマルタは働いています。そして、マリアが何も手伝わないのを見て、イエスに、「マルタに手伝うように言ってほしい」とお願いしてしまいます。イエスは「マリアは良い方を選んだ、取り上げてはならない」と言います。

 これはとても面白いエピソードです。マルタとマリアはずいぶん性格の違う人なのかもしれません。私がこの話で好きなところは、マルタがイエスに向かって、率直に自分の感じていることを言ってしまうことです。マルタはイエスに信頼して話すことのできる関わりを持っていました。マルタの発言の内容にかかわらず、マルタがイエスとそのような関わりを持っていた、イエスが女の人たちを大切に扱っていた、という点にとても心惹かれます。

 イエスとマルタの間には対話があります。これを考えると、イエスと私たちの間にも、きっと対話が成立すると感じられます。イエスがマルタの言葉を聞いて、返答してくださったように、イエスは私たちの言葉も聞いて返答してくださるということです。イエスに対して、私たちは率直に語ってよい。イエスは応えてくださいます。イエスは対話の姿勢をもっています。

 このイエスの姿から私たちも学びましょう。目の前にいる人がどのような人でも、その人を大切にする。クラスの中でも、まだあまりよく知らない人、意見が違う人、これまでに気まずいことが合った人、また電車やバスの中でたまたま一緒に乗り合わせた人、どんな人もその場に応じて大切にできる人であってほしいものです。相手を大切にするとは、どのようなことなのか、学校生活の中で考えていってください。

 対話には問いが必要だとお話ししました。若松英輔という人がこのようなことを言っています。答えを求める人は、答えを持っている人に従う人になってします、しかし、問いを立てる人は、自分で答えを求めて開かれていく、そして、神に対して問いを立てることもできる。大事なことです。皆さんも問いを立てる人になり、大事なことを追求し、見つけていく人になってください。

 期末試験も近づいています。毎日を大切に過ごしていきましょう。皆さんが実り多い学校生活を始めることを願っています。

 皆さんに一つお知らせします。7月に学校として、日本赤十字社より「銀色有功章」という表彰を受けました。昨年のシリア・アフガニスタン地震に対する支援によるものだということです。これからも災害に遭われた方々のために、私たちのできることをしていきましょう。

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