校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

5月第5週の朝礼 友だちと支え合って、一人でもしっかりと

2018.06.05

5月はカトリック教会では聖母マリアの月。31日は、ルカによる福音書1章にあるエピソード、マリアが親類にあたる女性エリザベトを訪問したことを記念する祝日となっています。初等科では5月31日に聖母マリアに祈りを捧げ、一ヶ月の聖母に向けたプラクティスの成果として聖母像に花の冠を捧げました。あいにくの曇天で、講堂での祈りとなりましたが、子どもたちの心に残る、美しい祈りの時となりました。各ステージの朝礼では、児童・生徒と共にマリアを思いながら、聖フィリピン・デュシェーンの勇気に倣うことを考えました。

聖母の訪問の祝日は、セカンドステージの児童・生徒にふさわしい祝日とも言えるでしょう。マリアが天使からイエスの母となる恵みを受ける知らせを受けたときの年齢は、ちょうどセカンドステージの子どもたちと同じ頃であったと考えられます。祈りのうちに天使から告げられた大きな恵みを受け入れたものの、マリアはまだ少女です。1人で心細かったに違いありません。そこで、天使から聞いた、同じように子どもを授かる恵みを受けた親類のエリザベトを訪ねます。エリザベトに温かく迎えられ、神への思いの共感を得て、マリアは神への感謝の念を深めます。この訪問の場面でのエリザベトの挨拶の言葉から「アヴェ・マリア」の祈りが生まれ、マリアの感謝の言葉が「マニフィカト」の賛歌となります。それぞれの恵みが呼応し合い、大きな響きを生み出します。この訪問で、マリアは神と自分ひとりの世界から、人との関わりのより大きな世界に一歩踏み出したことにもなります。子どもから大人になる戸口を踏み出し、社会的存在になっていきます。自分の村に帰れば、神からの恵みを生き抜くための困難も予想されます。エリザベトに支えられて、マリアは大人の女性への一歩を進め、人々との関わりの中で社会的な責任を負う存在となっていきます。セカンドステージの児童・生徒にとり、自分というものへの目覚め、自己の確立は大きな課題です。周りとの関わりの中で、どのように自分らしく生きていくかを問われます。マリアも同じように、子どもから大人へと成長していきます。この祝日に、聖母マリアはセカンドステージの子どもたちを特別に見守ってくださることでしょう。

創立者聖マグダレナ・ソフィアと、1818年に渡米した聖フィリピン・デュシェーンの間には深い友情があったと言われます。この2人の友情の意味深さは、中高等科生が創立者の祝日にシスターDona Collinsの講演から学んだことの一つです。聖フィリピンはアメリカに渡り、コミュニケーションのままならない遠い地で、新しい状況に直面していきます。相談が困難な中、決断しなければなりません。うまく進まないことも多々ありましたが、2人の友情があったからこそ、遠く離れた地にありながら、聖心会は一つのものとして、分裂することなく続いていきました。この2人がそれぞれ神から大きな恵みを受け、友人として支え合いながら、離れていても勇気をもって自分として生き抜いていったからでしょう。

ファーストステージの朝礼で、子どもたちに尋ねてみました。講堂には児童4学年と教員、400人くらいの集団が集まっていました。少し蒸し暑いような天気の朝でした。今、暑いと感じている人、手をあげてみましょうと問うと、かなりな人数の児童が手をあげました。次に、ちょうど良いくらいと感じている人、と質問してみると、数人ばらばらと手があがりました。最後に、寒いと感じている人、と問いかけると、1人だけ手をあげました。どれに手をあげても、自分が本当に感じているところに手をあげることができれば、それが良いことです。1人でも手をあげられた児童は、自分の感じたことに誠実である勇気をもっていたと言えるでしょう。とかく、大人数のところに安易に流れやすいものです。たとえ自分1人でも、しっかりと自分の感じていることを大切にできることが、聖フィリピンの勇気に倣うことにつながります。そして、聖フィリピンの勇気は、未知の世界での大きな決断だけでなく、日常生活の中の小さな普通のことがらを誠実に果たすことにも発揮されました。聖フィリピンの一生は成果が見えづらい、評価がむずかしいものがあります。しかし、失敗や辛いことに直面しても、あきらめないでやり続ける強さは確かなものと言えるでしょう。

児童・生徒にとり、学級や友だちなどの集団の中で自分の考えを大切にすることは、時に大きなチャレンジとなります。6月、みこころの月になり、初等科で行うプラクティス「心の中のイエス様に耳を傾ける」では、各自が自分の心に静かに向き合い、感じ、受け取ったことの実行へと向かいます。友だちと一緒にいるときに、その場限りの勢いに流れず、自分が正しいと思うことをいつでも大切にできる姿勢を聖心の児童・生徒として確立してくれることを願っています。そして、登下校のような日常生活の場で、児童・生徒も社会的存在であることを忘れずにふるまえることも願っています。

CIMG1165.JPG

このページのトップへ
このページのトップへ