校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

12月20日 中高等科 クリスマス ウィッシング

2022.12.21

 今年の中高等科クリスマス ウィッシングでは3年ぶりにハレルヤコーラスが響きました。2020年以来、以前と同じ形式で行うことはできなくなりました。毎年工夫を重ね、今年は中等科・高等科で協力して内容を練り上げ、中高それぞれでソフィアバラホールに集まって祝いました。歌も久しぶりに歌いましたが、感染対策のために各学年1曲ずつでした。ハレルヤコーラスも以前は生徒全員で歌いましたが、今年はそれぞれの最上級生9年生と12年生が歌いました。それでも、オーケストラ部の演奏をつけて、華やかなフィナーレとなりました。11年・12年生の選択音楽の受講者たちは中等科の部にも参加して、ウィッシングの流れを作りながら、下級生の歌声を支えました。

 生徒たちの選んだテーマは「奇跡 ~愛の扉を信じる~」でした。教皇フランシスコが神の愛を信じ、希望をもって生きることを「扉」の比喩を用いて語られたことを受けて定めたものです。扉の向こうには神の愛の世界が広がっていることを信じて、今を生きることの大切さをクリスマスに見いだそうとしています。ウィッシングの日を迎えるまでに、生徒たちはプラクティスを心がけ、小さな星型のカードに祈りを書く活動も行って心を整えてきました。ウィッシングはその結実です。

 今回のウィッシングは歌、創作朗読劇、イエスの誕生物語から成り、朗読劇では第一次世界大戦の最中でのクリスマス休戦の出来事をとりあげ、映像をつけて構成しました。映像では第一次世界大戦の塹壕の様子や兵士達の姿を写し出しながら、平和を希求する今の世界を思い起こさせ、クリスマスの意味を深く考えさせるストーリーを作り上げました。生徒たちはその出来事に「奇跡」を見いだそうとしています。皆で固唾を飲んで朗読に耳を傾け、画面に見入りました。ホール全体に満ち満ちた静けさを共有する、印象深い祈りとお祝いのひとときとなりました。生徒たちの姿から、その心にイエスの降誕の喜びと明日への希望が生まれたことが感じられました。

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 今回は久しぶりに歌うことのできたウィッシングとなりました。歌は、自分たちのために歌うことも楽しいものですが、神の賛美のために歌うこともできるものです。今日このホールにはとてもよい静けさが満ちていると感じられます。それは受け身のよそよそしい静けさではなく、皆で作りあげているもので、静けさがホール全体に満ち渡っています。とても豊かなウィシングとなりました。

 朗読劇では第一次世界大戦の場面が取り上げられました。100年前の出来事です。100年たった今も戦乱が起こっていますが、この出来事では、人々のクリスマスに向ける心が敵・味方の区別を越えて形になり、イエスを迎える心として繋がったのでしょう。

 クリスマスの大事なことについて、お父様たちのキリスト教を学ぶ会、ヨゼフ会のクリスマス会ミサで聞いた話を皆さんにも伝えます。イエスが生まれた時には、様々な人々がいました。ローマ帝国の皇帝、イスラエルの王、そして、たとえばイエスの生まれた町ベツレヘムの人々など色々な人がいました。しかし、その中で、イエスの誕生を一番先に知って、お祝いにやって来たのは羊飼いたちでした。羊飼いたちは町から離れた山の上で羊と一緒に生活していて、ヨセフとマリアが旅をしなければならなかった人口調査の対象にもならなかった人々でした。とても小さな人々で、貧しく、弱い立場の人々でもありました。二番目に来たのは、3人の東方の国の占星術の学者でした。3人の王様として表されることもあります。この3人は占星術をしているのですから、まだ神を知らない人々です。しかし、真実を求めている人々で、イエスを見つけ出しました。

 これらの人々のことを考えると、神様が誰に真っ先に知らせたかったか、神様が誰を大事にしているかがわかる、ということでした。

 多くの人はイエスの誕生に気づきませんでした。近くにいた人々ではありませんでした。むしろ遠くにいた人々です。

 神様が大切にしているのは、困っている人、悲しんでいる人、苦しんでいる人、見えない中でも真実を求めようとしている人、このような人々だったのではないでしょうか。では、今の世界では、どこにいる、誰なのでしょうか。世界には悲しんでいる人、苦しんでいる人、困っている人、混乱の中に生活しているひとがたくさんいます。

 そのような人々が神様が大切にされ、神様の奇跡に与る人々かもしれません。

 奇跡とは、とらえ方が難しいものです。奇跡とは何なのでしょうか。何かあり得ないような、可能性のない、何か素敵なこと、ラッキーなこと、幸せなことと思いがちです。「神がかかっている」とか「神っている」という、何か人間離れしたことを表す表現もありますが、奇跡もそうなのでしょうか。

 ブラウジングルームには皆さんが書いた祈りの星が輝いています。色々な祈りがありました。平和、差別のない平等な世界、貧困の解決、自由、笑顔など様々なものを求める祈りがありました。自分だけの願いごとではなく、心からの祈りを書いてください、という呼びかけに皆さんが応えて、協力した結果が見られました。自分のためでなく、世界のために祈り、自分の世界を拡げて、皆の心が一つになって行くということが、この祈りの星には感じられました。たくさんの星が瞬いて、神様の世界を表すかのようでした。ばらばらな人の心が一つになっていく、「私から私たちへ」となっていくことが見えました。とても貴重なことで、自分の力だけではできないことです。

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 奇跡を待つだけでは、受け身な姿勢です。神様の愛と出遭うために、扉を開けることが必要です。中等科の最後の挨拶では、「奇跡を起こす」「奇跡を呼ぶ」という言葉がありました。その言葉のように、受け身ではなく、自分たちから神様の恵みを信じて進んでいきたいと思います。協力することで、神様という一つの中心に向かっていくことができるでしょう。

 どうぞよい冬休みを過ごし、ご家族と良いクリスマス、新年を迎えてください。

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