校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

3月19日 中等科卒業式

2021.03.20

 最後の学年末行事は中等科卒業式でした。中高6年間、9年生から始まるサードステージの途中段階ですが、義務教育の修了という大きな節目です。一人ひとりが個性豊かな存在として成長し、ここに臨みました。写真は9年生の美術の授業の作品の一部です。

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 赤の学年の皆さん、中等科卒業おめでとうございます。9年生の終了はサードステージの途中にあたりますが、中等科課程を終え、義務教育の終了にあたる人生の一つの大きな区切りです。

 中等科の3年間で皆さんにとって大きなことは何だったでしょうか。学習は初等科とは異なる高度なところに踏み込んでいます。この3年間に学んだ知識量は飛躍的なものでした。クラブ活動や委員会活動を通して学院生活にも深く踏み込みました。友人関係においてもお互いの関わりを深めています。自分自身についての様々な発見もありました。12月に皆さん一人ひとりと面接したときに、それぞれが話してくださる言葉には実感がこもった重みがありました。9年生としてのこの一年間、新型コロナウイルス感染症という世界全体にとって新しい現象に遭遇した日々となり、予期していなかった状況に直面しなければなりませんでした。なんとかしてこの状況を意味あるものとして生きていかなくては、ということが誰にとっても大きな課題でした。9年生という大事な時期に、皆さんは大きな模索をしてきました。制限のある学校生活の中で、9年生として例年通りのリーダーシップの機会をもてないところもあったかもしれません。しかし、例年にないクリエィティブな場面もあり、多くの実りがありました。今学年に得た特別の体験をふり返って大切にしてください。いま何を見つけ、何を汲み出すか、どのようにこれからにつなげていくか、一人ひとりのものの見方にかかっています。

 ものの見方によって人の人生は変わります。ココ・シャネルの名前を皆さんは知っているでしょう。20世紀の初めにパリで全く新しい女性のファッションを生み出した女性デザイナーの先駆者です。シャネルのファッションは女性が創り出した、女性のための新しいモードです。動きやすい服、活動したときに美しい服を追求して、女性の解放にも貢献したと言われています。先ごろココ・シャネルの少女時代の一つのストーリーに出会い、ココ・シャネルと私たちの不思議な接点をみつけました。物語の中で少女のココは女子修道会が経営している寄宿学校の生徒で、学校は嫌い、友だちも嫌い、先生もシスターも嫌い、家族も嫌い、何もかも全部嫌い、友だちには素敵な家族がいる、でも私には誰も訪ねてきてくれない、私は不幸、と感じる孤独な少女でした。しかし、ココには唯一好きなものがありました。それは裁縫でした。ココの学校では、生徒たちは世間に出てからのたしなみとして裁縫を習いました。学校でやることは嫌いだと言っても、裁縫だけはココの創造力を駆り立てる、心から好きな楽しめることだったのです。ココが自分の好きなものに目覚めると、塞がっていた心が開け、未来も同時に開けていくようでした。

 このストーリーに接し、ココが裁縫を修道院学校で習ったと知ったことは一つの驚きでした。なぜなら、聖マグダレナ・ソフィアも裁縫を聖心の教育で大事にしていたからです。当時の女性として、何かの技術を身につけておくとしたら、それは裁縫でした。聖マグダレナ・ソフィア自身も裁縫を得意として、手の込んだ刺繍作品を残しています。裁縫の技術があることは、家庭の主婦としても、自分の身を立てるためにも有益なことでした。ココが育ったのはどのような学校だったのかと調べてみると、女子修道会が経営する孤児院でした。今の言葉で言えば、児童養護施設です。聖心だったのではないかと期待しましたが、その修道会は聖心会ではありませんでした。しかし、会の名前は聖マリアの聖心会と言いました。私たちの聖マグダレナ・ソフィアの聖心会はイエスのみこころですが、ココの育った修道会はマリアのみこころの修道会だったのです。そして、教育のめざすものは似ていました。これがココ・シャネルと私たちの不思議な共通点です。

 ココが受けていたのは、女子が自立するための教育でした。当時の恵まれた家庭の子どもであれば、自分で収入を得るために働く必要はなかったでしょう。経済的に恵まれなかったココは働かざるを得ませんでした。しかし、ココは単に働いたのではなく、裁縫の仕事を通して、次第に自分の考えや発想を大胆に、豊かに追求して行きました。ココがものの見方を変えたとき、裁縫は自立と自己表現の手立てとなりました。ただ修道院学校で習わされていたと思っていたものが、自分の個性を拓く表現手段となっていったのです。裁縫という誰でもやっていることが、ココを誰とも違う個性に育てました。

 ココ・シャネルの原点が少女時代の裁縫だったとしたら?始めは、ただ押しつけられて、やるべき課題だからと思ってやっていたことでしょう。何もかも嫌いと感じていたときには、苦痛でしかなかったかもしれません。しかし、ふと気づいたら、自分が熱中して楽しんで、一生懸命になっている、そのことに自分で驚いたかもしれません。嫌だという感情を抜け出し、自分の心に正直になったときは、ココのものの見方が変わったときでした。そして、ココの世界は広がりました。

 中等科生活を終える今、皆さんは自分が本気になれるものはこれだ、というものにもう気づいているかもしれません。まだ自分がどこに向かっているのか、明確に見えてはいないかもしれません。今はまだ模索中でも良いと思います。皆さんがいま感じている本当に好きなものは何ですか?本気で打ち込めるものは何ですか?それはすでに心の中にあります。重要な自己発見です。自分の中にある力、それに素直に気づいてください。それを自分で大切に育てましょう。本気で打ち込めるものは、たとえ失敗や途中にうまく行かない時があっても、皆さんの中に確かなものを育てます。

 今回の聖書朗読はマタイの福音書から神の国のたとえ話でした。神の国が小さなカラシ種とパン種にたとえられています。小さなものから大きなものに育つというたとえです。神の国というと、どこかにすでに存在する、完成されたものを考えてしまいますが、イエスは神の国は小さな始まりから成長するものとしています。神の国はまだ完成していません。しかし、神の国は驚くべき成長力をもったタネにたとえられます。この例え話もものの見方を問いかけています。神の国がすでにあるものと思って探している人には、神の国はみつかりません。なぜなら、神の国はタネをみつけた人が、神さまと一緒に歩み、その成長にあずかるものだからです。

 皆さんの夢の成長も同じです。皆さんの夢は、このたとえ話にある神の国のように、これから大きな成長を遂げる可能性をもっています。皆さんが本当に好き、本気で、と自分の奥深くから汲み取ったものであればあるほど、それは神の国のタネに似たものです。中等科までの教育で皆さんはココが裁縫を習ったように、この聖心の仲間と共に女子としての力をつけ、自分らしく生きる手立てを様々に学んできました。聖心の女子校としての意味深さについては、終業式で紹介した卒業生の言葉にあったとおりです。聖心は女子だけで問題発見・問題解決をしていく場、一人一人が何の枠組みもなしに自分としてものごとに参加していき、誰とでも対等に関わる力を訓練する場です。

 中等科を終える皆さんが、ここで新たなものの見方を得ることを強く期待しています。新型コロナウイルスに翻弄される世界で、大人のもっている将来予測は必ずしも明るくないかもしれません。しかし、未来に向けて生きていく皆さんの未来を見通すものの見方が、外側の不都合に動かされるのでなく、自分の内側に兆し始めている、心の底から皆さんを揺り動かすような、好きなもの、打ち込めるものというタネから力を得て、これから皆さんの世界を開き、閉塞から解放へと向かって確かに進んでいくことを心から願っています。

 皆さんの未来をここに集まる保護者の方々も応援して見守っています。ある保護者の方から教えていただいた言葉をつけ加えさせていただきます。それは3FFight Fair Friendshipの3つのF、前向きに力強く、フェアで誠実に、仲間を信頼して、というものです。これからの心の指針となる言葉です。みなさんもどうぞ大切にしてください。

 

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