校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

初等科朝礼 7月10日 イエスは重い皮膚病の人を癒やされた

2019.07.12

聖書の中にはイエスが重い皮膚病の人を癒やす場面があります。この病はハンセン病を指していると言われます。この6月28日、熊本地裁で起こされていたハンセン病の元患者の家族が国に損害賠償と謝罪を求めた裁判について国の責任を認める判決が下され、その後、国が控訴しないことを決めました。このことを受け、子どもたちと共に考えました。

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聖書を読むと、イエスが人々の病気を治すというできごとに出会います。イエスは病気の人々を温かい心をもって大切にし、癒やしています。重い皮膚病の人々もイエスは大切にしています。重い皮膚病は当時は治ることのない恐ろしい病気と考えられ、病気になった人々は町や村に入ることを禁じられて、まわりの人々から避けられてしまう、仲間はずれにされてしまう存在でした。病気であるにもかかわらず大切にしてもらえない状況におかれていました。この重い皮膚病の人々をイエスは大切な存在として関わり、癒やしを与えました。

この重い皮膚病は聖書の中だけのことではありません。実際にある病気で、ハンセン病と呼ばれ、治療薬が見つかるまで長い間、治らない病気として人々から恐れられました。以前の日本でも、もしこの病気にかかったら、患者は家族から離れて、遠いところにある病院に行かなければならないことが決められていました。この病気では、手や足が動きにくくなったり、目が見えなくなったり、身体の外見が変わってしまったりすることがあり、これらの後遺症によっても人々から恐れられました。そして、本当は感染する力は強いものではないにもかかわらず、伝染病ではないかという誤った考え方によって、社会から切りはなされて、患者たちは辛い立場に置かれていました。

ハンセン病の薬がやっとみつかったのは今から80年くらい前のことです。それ以来治療することができるようになって、今ではかかる人は日本ではいません。たとえかかったとしても、治る病気です。しかし、薬が見つかるまでの長い間、患者は大きな苦しみの中にいました。病気になることは身体の上でとても辛いことですが、その上に人々から恐れられ、関わりを絶たれてしまうことはとても苦しいことでした。また、患者の家族にとっても、家族から患者が出たことでまわりの人々から恐れられたり、避けられたりすることがあり、それは大変辛いことでした。この病気に対する国の方針が変わったのは1996年です。薬が見つかって治療できるようになってからだいぶ後のことでした。しかし、その後も人々の心には、長い間続いていたハンセン病に対する考え方や見方が変わらずに残っていて、誤解や間違った考えをもったままの人々も今もまだいます。

今回、ハンセン病の元患者の家族が、このような国の方針は間違っていたのではありませんか、そのために長い間患者の家族としても苦しい思いをしなければなりませんでした、と裁判を起こし、その訴えが認められました。イエスの時代から2000年もたって、やっと元患者と家族の声が認められました。元患者の方々とその家族が長い間苦しい思いをしなければならなかったことは大変なことでした。解決は簡単なことではなく、まだ難しい問題はたくさんありますが、それでもこれは大きな一歩です。

このことから、私たちは、イエスのように温かい心で、苦しんでいる人々と関わり、助けたり、何かできることをしたりすることが大切であることを改めて考えたいと思います。ものごとを正しく知るように努め、誤った考え方によって動かされることがないようにすることの大切さも心にとめたいと思います。

毎日の生活のお友だちや周りの人との関わりの中で、偏った見方で決めつけたり、誤解したりしないように心がけ、もし困っている人、悲しい思いをしている人がいたら、優しい心で接しましょう。それがイエスのみこころが私たちに求めていることです。

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子どもたちには、家に帰ったらこのことについて、家の方に質問して教えていただくようにと伝えました。聖心女子学院は1918年という学院の最初期に、当時ハンセン病施設であった神山復生病院(静岡県御殿場市)を支援する活動を行っていたという歴史をもっています。広い心をもって多様な人々をコミュニティに受け入れていった、イエスの姿に倣って生きようとする聖心の子どもとして、考えなければならないことがらです。

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