校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

2019年新年の集い 1月9日

2019.01.13

冬休みを終えて、新年の集いを初等科、中高等科でそれぞれ行いました。久しぶりに登校し、友だちと顔を合わせ、寒さの中でも児童・生徒は活気に満ちて学校生活を始めました。それぞれの集会で、年頭の話をしました。

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 12月24日・25日には学校の聖堂のクリスマスのミサが行われ、多くの児童・生徒とその家族、卒業生が参加し、共に祈ることができたのはうれしいことでした。また、たくさんのクリスマスカード・年賀状をもらいました。すてきなものがたくさんありました。年賀状には今年の決心や、初等科生では今年の干支「亥」にちなんださまざまな言葉あそびが書かれていました。紹介してみると、たとえば、「い」はいのちや祈りなどで、「祈り、乗り越える、信じる心、親切な心を大切に」、「色々なことにチャレンジ、のびのびと、集中して、静けさを大切に」というものがありました。「し」はしっかり、真剣に、辛抱強く、失敗してもあきらめないなどで、「一生懸命に、望みは高く、じっくりと、真剣に」、「いつでも努力、望みの通りにならなくても、辛抱強く、しっかり続ける」というものもあり、この最後のものは聖フィリピン・デュシェーンの心に繋がるかのようです。

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 初等科生は、冬休みにもクリスマスのプラクティスを続けていることやSDGsの取り組みの続きについても書いてくれました。世界のことを考えながら、プラクティスで心がけた「ありがとう、ごめんなさい、どうぞ」の3つの言葉をこれからも大切にしていきたいです。1月から3月は今学年のしめくくりの時期にあたります。特に6年生には大事な時期ですから、毎日しっかりと進むことを期待します。まず2月の学習発表会が楽しみです。

 中高等科生も新たな年にそれぞれの成長が期待されます。そして、世界と日本の様々な動きのなかで、うわべだけでない本当に大事なこと、ほんものを求めて進みたいものです。自分たちの利益を優先する考え方も強くなっていると感じられます。共に生きることの大切さを改めて考えていきたいものです。日本では5月に天皇が退位され、元号も替わり、新たなものを求める気持ちが感じられます。そのなかで、ほんものを求めていきたいものです。

 2018年は聖フィリピン・デュシェーンと共に本当に大事なことを貫く勇気について考えながら生活しました。今年も聖フィリピンと共に歩んでいきましょう。ローマ教皇フランシスコは今年の年末頃に日本を訪問したいとの意向を表明しています。どのような日本訪問になるか楽しみです。

 正月の新聞では、年の初めにその年を表す記事が見られるので、毎年注目しています。今年は1月6日の朝日新聞に中高生の「私の折々のことばコンテスト2018」の結果発表がありました。それについて紹介します。朝日新聞には毎日1面に鷲田清一が小さなコラム「折々の言葉」を書いています。毎日短い一節を紹介して、解説を載せています。毎回心に残る文章です。コンテストでは、中高生が自分の心に残った一文をあげて、それについて説明を書いています。入賞作の最優秀賞は高校2年生の男子で、「あんさんが思っとるほど足下には何もなか。やけん前でも見て歩きんさい」と言う言葉をあげ、受験が近づいて考え込みながら下を向いて歩いていたら、近所のおばさんから道で声をかけられた、何も知らないのに、と思ったけれど、不安で落ち込むより次にがんばれば、と言われていると気づかされたと書いています。方言で書かれていることが心に響きます。鷲田清一賞の中学1年生女子は「何もないから、新婚みたい」という自分のおばあさんの言葉をあげています。この方は昨年の7月に岡山県の大雨による洪水で被災され、何もかも奪われた家の様子を見て、このように語られたということです。新婚の時は、まだ若くて結婚したばかりで、幸せはたくさんあるけれど、まだ家には何もものを持っていないということでしょう。何もないことは同じでも、洪水の被害に遭って大変な状況で、それを幸せな時になぞらえて前向きな言葉を語られたおばあさんの言葉です。どちらの作品も、視点を少し変えてものごとを見てみると、そこから生きる力を見つけることができることを伝えてくれています。これらの作品は希望の光の見つかる言葉を伝えています。

 今年生徒の皆さんからいただいた年賀状にもすてきな言葉がたくさんありました。紹介してみると、「去年は悩むこと辛いこともあったが、その度に成長することもできた」、「自分のやりたいことを選択できる学年になって、自分で決めるということは責任を持つことだと感じ、自分の意見や考えを持つことの大切さに改めて気づいた」というものがありました。「継続」ということについても、「困難に直面したときに、すぐに解決できなくても、様々な角度からとらえ、継続して考えていきたい。世界の色々な問題についても、もう知っているからそれで良いと考えてしまわず、今、自分にできることは何かと考え続けていきたい」というものもありました。大事な視点だと感じます。また、目指したいことがあっても、スマホが手放せない現実を正直に書いてくれた方もありました。年賀状に書くほど切実な思いだったのでしょう。そして、誰かに言われたことだけをやっていても仕方がないのであって、自分で考えて行動することに意味があると気づいた、というものもありました。それぞれ心に残る言葉です。

 卒業生からいただいたものの1枚に「今、自分が当たり前のように人を大切にし、小さな声に耳を傾け、手を差しのべることができるのは、聖心で学んだこと」とありました。卒業して社会に出てからの実感です。「小さな声に耳を傾ける」とは、弱い立場の人々や声を上げられない人々のことを大切にすることでしょう。「共に生きる」ということです。このことは、新年の集いで朗読された聖書の言葉に通じます。ヨハネの第一の手紙4章でした。神が愛してくださるのだから互いに愛し合いなさいとあります。また、神を見ていなくても、愛し合うなら、神が内にとどまっていてくださるともあります。この言葉は理屈でなく、自分たちの間に良い関わりを作るときに、そこに神がいてくださるということを示しています。そして、神は愛、愛にとどまる人は神の内にとどまる、そのとき、神はその人のうちにとどまる、ともあります。だから、愛によって神と共にいることになりますし、何より、愛することができるのは、神が共にいてくださるからこそです。では、愛するとはどのようなことなのでしょうか。先の卒業生の言葉が教えてくれます。愛するということは、まわりの人を大切にする、特に弱い立場の人、力の無い人の話を聞く、助けるということです。自分だけ都合良く生き、うまく行くのではなく、まわりの人と共に生きるということです。このようなときに、神が共にいてくださいます。そして、神が共にいてくださるからこそ、まわりの人を大切にする力を見つけることができます。皆さんが今日からの日々、お互いを大切にし合い、弱さを責めたりせず助け合い、このような関わりを生きることに喜びを見つけるようであってほしいと願います。神が一緒にいてくださることを感じ取る日々であってほしいと願います。

 学年末に向けて、それぞれ良いしめくくりの時期を過ごしましょう。特に12年生の大学受験を控えている方はしっかりがんばってください。11年生以下はこれから落ち着いて勉強に取り組める時を過ごします。2月には錬成会があります。良いふり返りの時となることを期待します。1月18日には韓国ソウルの聖心生が訪問してきます。楽しみに迎えましょう。それぞれにとって実り多い毎日となることを願っています。

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