校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

6月28日サードステージ朝礼 教養とは 宮下奈都「羊と鋼の森」から考える

2018.07.02

宮下奈都著の「羊と鋼の森」(文藝春秋社刊)が映画化されて上映されています。調律師を目指す青年が主人公のこの作品を通して、学ぶことの意味や「教養」についてサードステージ朝礼で考えました。

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主人公の青年は高校生の時に、学校に来たピアノの調律師を案内して、たまたまその仕事を耳にしたことで調律師を目指すようになります。この青年はそれまで自分は大したことのない、どうでも良いような存在と感じているようでしたが、この調律師の仕事ぶりに接し、その音を耳にして自分の中に何か変化を感じ、高校卒業後に調律師を養成する専門学校に進学します。そこで専門的な知識と技術を身につけて卒業し、仕事に就き、よい調律師になりたいという希望をもって現場に赴きます。ある日、調律が終わったピアノをお客さんが試し弾きをした時にその音の力に魅せられますが、何の曲であったかわかりませんでした。ピアノ調律の専門知識と技術はあっても、ピアノ曲の知識はありませんでした。しかし、曲名を知らずとも、音色の力を聴き取ることはできました。その後、様々な曲をとにかく聴き、コンサートにも出かけ、先輩の調律師からも学び、専門的な知識と技術に加えて、まわりの学びを深めていきます。その学びを通してほんものへ、その人ならではの世界を拓いていきます。

青年は自分では気づいていませんでしたが、もともと良い感性に恵まれていました。しかし、たとえすぐれた感性や奥深い個性を備えていても、自分の世界にいるだけでは自分一人だけのものでしかありません。専門的な知識と技術に加えて、幅広い学びを深めることで青年はまわりの人との関わりを築いていきます。生来の感性もより一層磨かれ、それを仕事を通して表現し、まわりに伝えることができるようになります。この青年の学びと成長ぶりを通して、「教養」というものを考えさせられます。

「教養」とは何でしょうか。ともすると、うわべの知識やかざりもののように聞こえることもあり、とらえるのがむずかしいと感じられます。この青年の姿を見ていると、厳密に言えば専門外の知識を広く身につけることで、人やまわりの理解を深め、自分の内面の理解を深めていることがわかります。言わば、世界が受け継いできたものを自分も受け継いでいくことが、自分自身になっていくために必要であることがわかります。これが「教養」というものの意味ではないでしょうか。そして、教養とは自分とまわりの世界をつなぐ関わりを形作るものでもあるでしょう。

サードステージ生は様々な教科の学習を深めていますが、そこで学んでいることは世界を読み解くためのツールです。世界が発見し、積み上げてきたものを受け継ぐ作業です。個々の知識が自分の人生の中でどのように関連づけられるか、いま必ずしも全体像を分かっているわけではないでしょう。しかし、自分の関心の周辺にあることも広く学ぶことが、自分と世界の関わりを築き、自分の内面の理解を深めることになるはずです。

作品の最後で青年は、会社の同僚から漢字の「善」の文字に「羊」が隠されていることを教えられます。そして、それが自分自身の理解にも、ピアノという楽器と調律という仕事の理解にもつながります。周辺の学びが世界を広げ、奥深いものへとつながるエピソードです。

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