校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

6月28日中高等科朝礼 聖体とつながって共同体を生きる

2022.06.29

 中高等科は6月24日にみこころの祝日を祝いました。それをふり返りながら、校章の意味を中高等科でも考え、共同体に向かう意識を確認しました。この朝の祈りでも、生徒たちはヤコブの手紙から試練に関する言葉を選び、前向きな力をみつけようとしていました。

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 24日金曜日にみこころの祝日を祝いました。神父様はイエスが弱い人、小さい人を大切にしてくださることをお話しくださいました。また、一番大事なことは目に見えるものの先にある、目に見えない、その人の生き方や考え方、価値観の中にあるのではないか、ともお話しくださいました。それらは目に見えないものでも、人の心に残り、まわりの人にい影響を残していくものです。小さい人々、弱い人々は人目につかない存在ですが、人に知られないところで存在する価値や隠れた輝きです。

 見失われた羊の話では、羊飼いは1匹を探して99匹のところに連れ戻します。その1匹が共同体、コミュニティの一員となっていくことも重要です。全体が仲間の意識をもつことも呼びかけられています。イエスが大切にする「一人」を大切にする私たちになっていく、ということです。

 カトリック教会では、イエスのみこころの祝日はイエスの復活を記念する一連の祝日の最後にあたります。イエスの復活の50日後、つまり7週間後に、聖霊が弟子たちに降る「聖霊降臨」があります。弟子たちの信じる心が励まされ、活気づきます。その次ぎの日曜日は三位一体の主日で、父と子と聖霊の神を記念します。そのまた次ぎの日曜日は聖体の主日とされ、イエスの身体である、ミサの聖体を記念します。聖体はミサの中で洗礼を受けた信徒の人に配られる小さなパンです。ミサはイエスの弟子たちとの最後の晩餐の記念です。イエスは弟子たちにパンを自分の身体、ぶどう酒を自分の血と言いながら分けて、自分のいのちを弟子たちに分かち合われました。ミサで聖体をいただくことは、イエスのいのちをいただいて生きるということです。ミサでは洗礼を受けた信徒の人だけが聖体をいただきますが、イエスの思いはすべての人へと向かって拡がり、すべての人のいのちを支えようとされているでしょう。みこころの祝日は、この聖体の主日の週の金曜日とされていますので、それが24日金曜日でした。

 聖心はみこころを大切にする学校です。イエスのみこころに倣い、みこころに向かうことを目ざします。そして、聖体ともつながっています。皆さんの校章には、左右の百合の花の上に輝くものとして聖体が描かれています。生徒手帳にある校章の説明を見てみましょう。「校章のまわりを縁どっているのは百合の花であり、清らかさを象徴している。・・・百合の花の上には聖体が形どられている。これは私たちが神の愛に養われて成長し、互いに結ばれて共同体を作ってゆくことを意味している」とあります。そして、それに続けて、「聖心女子学院は、生徒を神の愛の中へ清く成長させ、それによって人々への愛と奉仕に開花できるよう準備する場なのである」とされていて、私たちが学校で人のために働く経験を積み、広く外の世界で人々と関わっていくことを目ざすよう促されています。校章は、聖心では共同体のセンスが重要であることを表しています。一人ひとりがイエスから大切にされて、仲間になっていくと言うことです。

 今の世界、社会では分断が大きな課題です。その中で私たちは「聖心は一つの家庭」という言葉を大切にしています。これはとても耳にやさしい言葉です。しかし、これを本当に生きることは困難を伴います。それでも、それを乗り越える力を私たちは聖体から与えられています。聖体から力をいただいて、お互いに支え合い、分かちあっていきます。

 共同体に向けて、今日一日の学校生活で何ができるでしょうか。どのようなチャレンジがあるでしょうか。聖体から力をいただいて進んでいきましょう。

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