校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

2月3日中高等科朝礼 孤独は自立の出発点 茨木のり子「一人は賑やか」

2022.02.05

 新聞記事で茨木のり子の詩「一人は賑やか」に出会いました。孤独な心の豊かさを謳う詩をひいて、コロナ禍での若者の孤立の問題を問う記事でした。セカンドステージでは7・8年生の生徒たちがお互いの違いを受けとめ、多様性に開かれようというアクションを行っています。それの応援の意も込めて、「一人は賑やか」を紹介しつつ孤独と孤立、孤独と自立について、生徒たちと考えました。(1月25日毎日新聞「余録」)

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 セカンドステージアクションの活動を呼びかける昼休みの放送を耳にしました。お互いの違いを受けとめ、多様性を認めることを目ざしています。心がけて実行しましょう。しかし、実際にはむずかしい現実もあるかもしれません。周りの友だちとの関わりが正直でないと実行できません。

 新聞記事で茨木のり子の「一人は賑やか」という詩に出会いました。茨木のり子の詩は、国語の時間に読んだことがある人もいるでしょう。パワフルな女性詩人です。読んでみます。

 一人でいるのは 賑やかだ / 賑やかな賑やかな森だよ / 夢がぱちぱち はぜてくる / 良からぬ思いも 湧いてくる / エーデルワイスも 毒の茸も

 一人でいるのは 賑やかだ / 賑やかな賑やかな海だよ / 水平線もかたむいて / 荒れに荒れっちまう夜もある / なぎの日に生まれる馬鹿貝もある

 一人でいるのは賑やかだ / 誓って負けおしみなんかじゃない / 一人でいるとき淋しいやつが / 二人寄ったら なお淋しい / おおぜい寄ったなら / だ だ だ だ だっと 堕落だな

 恋人よ / まだどこにいるのかもわからない 君 / 一人でいるとき 一番賑やかなヤツで / あってくれ

このような詩です。孤独は決して淋しくないと歌っています。自分の中に夢が湧いてくる、色々な思いが生まれてくるとき、としています。孤独を恐れる人もいます。一人ぼっち、仲間はずれ、空しいと感じるかもしれません。しかし、茨木のり子の孤独は心の中の豊かさを楽しめる時間です。外見は静かでも、内面は賑やか。外側の一人に見える姿は、内側の充実、精神的な自立を秘めています。孤独は自分らしさに気づく時間でもあるのでしょう。

 12年生の宗教の時間に、孤独と孤立は異なるのではないかと考えました。今、私たちは放送朝礼の場にあって、皆が沈黙で耳を澄ましています。一人ひとり独立した存在です。それぞれが自分の心に注目しています。沈黙の中で一人ですが、同時に皆で静けさを共有するという独特の沈黙の感覚を味わっています。これは、良い孤独、充実した孤独ではありませんか?

 孤立というと、周りとの繋がりが切れているようです。切り離された苦しさがあります。自分から人との関わりを嫌ったり、疎んじたりして、自ら孤立していく場合もあるかもしれません。しかし、孤独はどうでしょう。だれでも、自分の世界をもっていて、それを大切にしたい。人との関わりも大切にしたい。しかし、自分という出発点がなければ、何も始まらない。出発点は一人の世界で、名づければ「孤独」なのかもしれません。それなら、孤独を恐れる必要はなくなります。

 私たちはいつも神様が一緒にいてくださることも感じ、知っています。私たちという集団、共同体の中にも神様はいてくださるし、一人ひとりと共に神さまはいてくださいます。この思いをもって、一人ひとりが沈黙や静けさを大切にするとき、一人ひとりに良い孤独が生まれるでしょう。孤独の中に、他の人とは一人ひとり異なる味わいが、その人らしさとして開花するでしょう。そして、他の人を大切にする心も生まれるでしょう。こんな孤独を味わっていきたいものです

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