校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

3月17日中等科卒業式 

2025.03.18

 9年生の皆さん、中等科ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様にもお祝い申し上げます。

 良い天気に恵まれて春の訪れを感じさせる、皆さんの未来に向かう卒業の日となりました。

 9年生の皆さんは、中学校という義務教育の段階を終えて、高等学校という次の段階に進みます。 今すでに、私はこれをやりたいと明確な方もあれば、まだよくわからないという方もあると思います。どちらも良いと思います。高校の勉強は難しくなる、そう思って覚悟を決めてもいるでしょう。各教科の専門性は高まります。そして、高等科には探究という活動も設けられています。探究するということは問いを追究する学びです。そして、探究は自分ごととして学ぶこととも言うことができます。受け身ではなく主体的な学びです。聖心らしい学びの深まりでもあります。

 私たちはとても変動が大きい世界に住んでいます。災害や気候変動という自然の状況に左右されることもあれば、世界の国々の動きによっても私たちの生活は動かされます。そして、コンピューターやAIの発展によっても私たちの生活は大きく変わります。皆さんがこれから生きていく世界はどのようになっていくのでしょうか。

 皆さんはAIをもう使っていますか?AIは探究のためにもとても便利な機能です。知りたいことがあったら、「これを調べて」と頼めば、すぐペーパーにしてくれます。長時間の会議などでも、短時間で要約を作ってくれます。翻訳機能もとても便利です。短時間で翻訳ができます。

 私もこのような経験をしました。先日アフリカのコンゴの聖心から、初等科がハイチデーの活動で寄付したお金の使い道についてフランス語のメールが初等科に来ました。だいたいの意味はわかりましたが、コンピューターの翻訳機能を使って日本文にしてみることにしました。一瞬で日本語になりました。とても便利です。しかし、読んでみると、確かに単語の意味は正しいものでしたが、文としては意味不明のものが出てきました。コンゴのフランス語の文は独特なのだろうと思います。コンゴの文化です。シスターたちの顔を思い出しながらお伝えになりたいことを考えて、訳文を手直ししました。また、あるとき、私が自分で書いた日本語の文章を英語に直す必要があり、まず自力で英文にしてから、翻訳機能も使ってみました。これも一瞬で英文になり、比較してみると、単語の使い方について参考になることもたくさんありました。しかし、私が特別に思いを込めて書いた部分は、AIにはわかってもらえなかったようで、意味不明の文になってしまいました。AIを使っても、何か変だなと気づくことがあるという経験でした。頼り切らず、自分で確認することは大切なことと実感しています。

 しかしながら、AI、あるいはコンピューターは便利なツールとして私たちの日常にどんどん入ってきています。皆さんの学びにも影響を与えます。コンピューターにお任せという考え方も出てくるかもしれません。皆さんはどう思いますか?そして、今の世界は様々な言葉や情報があふれています。インターネットによって、世界の果ての人が発信した情報でも手に入れることは可能です。一方で誰が発したのかよくわからない情報もたくさんあります。皆さんはその中で、正しい情報、真実の言葉を探していかなくてはなりません。だまされてしまう訳にはいきません。どうやって見分けたり、選んだりできるのでしょう。

 「AIにはない思考力の身につけ方」という本に出遭いました(今井むつみ ちくまQブックス 筑摩書房 2024年)。子どもの言葉の習得や発達を研究して、AIとは異なる人間の知性のあり方を追究している、今井むつみという研究者が書いたものです。その方によると、言葉を学ぶことは考える力をつけることと両輪だということです。言葉を知っていないと正しく理解することはできないし、考えを広げることができません。特に、抽象的な言葉の理解が大切だとしています。しかし、言葉を暗記するだけでは考える力とはなりません。言葉が自分のものとして使えるようになっていなければならない。そのためには、言葉の表す抽象的な概念が自分の経験に結びつけられていることが重要だとしています。たとえば、陸上競技のランナーが速度というものを抽象的にわかるだけではなく、自分の体の感覚としてとらえているというようなことです。AIは計算によって、ある条件下での最適解を出してくれるのかもしれませんが、それが人間の生活にとって本当に正しいかどうかわかりません。確かめるのは人間です。今井むつみさんは「直観」ということばを使って、自分の感覚を磨くことが必要と言っています。それが言葉を自分のものとして使いこなしていく、人間の思考力だということです。

 9年生の皆さんは昨年の秋に、理科の特別講演で東大総合博物館教授の遠藤秀紀先生の話を聞きました。どのようなお話だったか覚えていますか?パンダの手の指の構造をお話しくださって、パンダが竹を上手につかめるのは、第7の指として、パンダだけに特別に発達した手の骨があるからだということを教えてくださったと思います。遠藤先生は動物の遺体の解剖を通して、生物の体のつくりを学び、色々な生き物の進化のプロセスを解明しています。実物から学ぶということを大切にしています。個々の個体から、そこにしかない情報を自分で取り出してくる方です。そして、生き物のいのちと死に直面しています。

 遠藤先生の弟子にあたる女性研究者でキリンを専門にしている郡司芽久という方がいます。この方は子どもの時から好きだったキリンという動物を自分の生涯の研究テーマとして取り組んでいます。どこかの動物園でキリンが死んだら、遺体をいただいて解剖します。キリンの体の仕組みを解明し、人間の体の仕組みと比較もして研究しています。その解剖の様子を動画で見たことがありますが、とても手際よいものでした。そこには実際の経験から学ぶ確かさがありました。郡司さんは自分の好きなものを追究するということを大事にしています。キリンなんか研究して何の役に立つの?という人もいるかもしれない。しかし、自分が本当に関心のあることを学ぶ、そこに楽しさがあり、やる気を起こさせる力がある。楽しい、やってみたいという思いが学びを開く力になっています。これは学びを自分ごとしてとらえ、自分の心を見つめ、心の感覚を確かめながら取り組む人にしか追究できない学びです。

 今日3月17日はカトリック教会では大切な日です。明治維新直前の1865年の今日、長崎の大浦天主堂という教会で、隠れキリシタンの人々がフランス人の神父様に自分たちはイエスを信じて待っていましたと告げたというできごとの日で、信徒発見の日と言われています。世界を驚かせた出来事でした。隠れキリシタンの人々は江戸時代の禁教の日々にも、自分たちの信仰を心の中で保っていました。そして、ほんものを選ぶ感覚を自分たちの中に養い、受け継いできていました。これは驚くべきことです。ずっと言い伝えを保ち、ほんものを見分ける力を自分たちの間でずっと養ってきていました。祈りによって神さまと共にあってのことですが、信徒たちは自分たちの心をみつめながら、自分たちの見分ける力を磨き続けていたのだと思います。今日の聖書の朗読、コリントの信徒への第一の手紙13章4節から13節には、愛の力は何にも増して強いという言葉がありました。キリシタンたちはこの愛を心の芯において、ほんものを求めて言葉を聞き、確かめ、考え、仲間と分かち合い、自分の感覚を磨いていたということでしょう。そうやって、何十年も待ちながら、ほんものに出会う機会をつかみました。

 人間は間違えることもあります。膨大な情報を処理することはAIにかないません。データ分析における精度はAIの方が格段に高いということもあるでしょう。しかし、それぞれの人の中にある感覚や実感はその人ならではのものです。聖心で私たちが日々大切にしてきた、振り返りや祈りは心の感覚を磨く助けになります。人間としての知性を磨き、自分らしさを養うために、なくてはならないものです。

 中等科を卒業して高校生になっていく皆さんが、これから自分らしい学びをつかんでいくことを心から願っています。与えられた課題をこなしていくこと、試験でよい成績を得ることだけが学びではありません。AIの時代だからこそ自分の学びを大切にして、学ぶ感覚を磨いてほしい。自分自身が何を感じているか、何を手にしているか、しっかり見つめて、学ぶことを楽しんでほしい。AIは学びを楽しむことはできません。楽しみながら学ぶことこそ人間らしい。そして、楽しみながら学ぶことは楽なことではありません。間違えたり、わからなくなったりしながら、自分の中に道筋を作っていく、それを楽しんでほしいと願っています。

 聖心の学びは魂・知性・実行力の3つにつながっています。学ぶことが皆さんの人間全体を豊かにします。学校の行事やクラブ活動、友人との関わり、奉仕活動での人との出会い、これらが皆、みなさんが自分を知り、自分の生き方についての考えを深め、皆さんの人生を導いていきます。

 9年生の皆さんは、高等科に向けて期待をもって進んでください。自分の課題にはしっかり向き合い、自分を磨いてください。8年生の皆さんは、サードステージ生になります。視野を広くもって、自分自身、まわりの友人について新たな目で見直してください。7年生は中等科生として新しいことにたくさん出会った一年を終わります。今学年の実りを新学年に続けてください。

 新学年に、皆さんが先生方と一緒に聖心女子学院を新たな気持ちで作っていってくださることを心から願い、9年生の皆さんにはこれからの豊かな実りをお祈りします。 

このページのトップへ
このページのトップへ