校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

1月28日中高等科朝礼 心をしっかり見つめる 聖心の学校の生徒として

2025.02.03

 中高等科では7年から11年の学年で、2月の第一週に錬成会の日を予定しています。その日は授業は行わず、指導者として司祭やシスターあるいは信徒の方を招き、講話を聞いたり、話し合いや分かち合いをしたり、振り返りや祈りの時間をもったり、各自が心を見つめる特別な一日として過ごします。

 それを一週間前にして、教皇フランシスコが昨年10月に出された回勅「Dilexit Nos」について考えてみました。回勅とは教皇から全世界にあてられた手紙です。イエスのみこころのついて書かれたもので、まだ正式な日本語訳は出されていませんが、「神は私たちを愛された」という暫定訳に接することができます。イエスのみこころに向かう聖心の学校として、大切にしたいメッセージです。

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 初等科のときはお祈り当番が回ってくると、一人で考えなければなりませんでしたが、中高等科では3人で協力して、話しあって知恵を出して祈りを考えています。初等科生はよく「今日は〇〇の日です」、と調べて来たことをもとに、その日にふさわしい祈りを考えてくれました。では、昨日は何の日だったか皆さんは知っていますか?

 1月27日はアウシュビッツのユダヤ人強制収容所が解放されて80周年の日でした。各地で記念の催しが行われ、ニュースにも取りあげられました。今朝も報道がありました。

 今、生存者として生きている方たちの中には、ちょうど皆さんくらいの年齢のときにアウシュビッツを体験した方たちもいらっしゃるでしょう。それでも90歳以上ということになります。自分たちは苦しい体験を忘れることはできない、と語られながら、今の世の中を見て、心配な気持ちになっておられるように感じられます。

 確かに世界には色々な考え方がうずまいています。自分たちの権利や主張を最優先しようとする動きも見えています。生存者の方々は過去のできごとを忘れてはならない、見て見ぬふりをしないことが大切、弱い立場・少数の人びとを見過ごしてはならない、と話していました。このようなニュースを、私はちょうど今ブラウジングルームで行われているアンネ・フランク写真パネル展示のことを思い出しながら見ていました。

 「聖心」という学校の名前は、イエスのみこころを示しています。私たちはイエスのみこころを大切にする学校の一員です。「心」をしっかり見つめていましょう。イエスの心と自分の心の両方です。心を見つめることは、自分のためにも、世界のためにも必要なことです。

 教皇フランシスコは去年の秋10月に、「回勅」という全世界への手紙「神は私たちを愛された」を出され、その中で心の大切さを繰り返し書いていらっしゃいます。忙しい生活、ものやお金にとらわれている考え方が強い今の世の中で、心が見失われていませんかと問いかけています。人間の心はとても大切なものなのに、心について意識していないのではないか、と教皇フランシスコは述べています。人間の心は、神さまを感じるために、神さまとつながるためにも大切です。イエスの心は、人間の心でもあり、神の心でもあって、人間のことを思い、神の心を私たちに感じさせてくださるものです。

 教皇フランシスコの文章を読んでいると、人間は神さまによって、神さまの愛から、愛することに向けて作られた存在です、という強い確信をご自身が持っていることが伝わってきます。自分の心を大切にしてください、見失わないでくださいと呼びかけています。

 この回勅には聖心会の会憲が引用されている部分もあり、イエスのみこころを大切にする修道会として、聖心会のシスターたちはとてもうれしく思っています。イエスのみこころを大切にして、今の世の中の現実を見て、祈り、人びとと共に生きていくというところが引用されました。

 聖心の学校の生徒として、皆さんは自分の心をしっかり見つめてください。イエスの心に気づき、今の世界の中で何を大切にすることが求められているか、しっかり考える人になり、周りを大切にするコミュニティを作っていく人になってほしいと願っています。

  

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