トップページ > Spirit of "Mikokoro" > 1月14日中高等科朝礼 祈りは聖心生の力
新年の学校生活も2週目となります。寒い時期活気をもって進めたいものです。久しぶりの放送朝礼となりました。
生徒の学校生活は祈りで始まります。放送朝礼では当番の生徒が聖書の朗読箇所を選び、その日にふさわしい内容の祈りを作り、全体に向けて唱えます。今日は被団協の方々のノーベル平和賞の授賞を話題として、世界の平和のために祈りました。生徒の生活に祈りは毎日の習慣です。その意味を改めて考えてみました。祈りは解決の見いだしづらい世界で、大事にしたいことを表現し、方向性を見定めながら生きていく力となるものと思われます。
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この冬休みには卒業生からもたくさんの年賀状をいただきました。大学生として、社会人として色々なところで活動している方たちです。「聖心生であることを改めて考えています」、「聖心での学びが卒業して社会に出てみて改めて本当に役に立っていると感じます」などと書いてくださる方も多く、校長先生宛のものだからかもしれないとは思いつつも、とてもうれしく、良かったと思いながら読みました。そして、この方たちが感じていること、考えていることはどのようなことなのだろうかと、私も改めて考えさせられました。
今の世界は不安なことがたくさんあります。すぐには解決が見つけづらい世界の状況です。それを考えると、大人の私としては心配になります。世界の平和や国連など、これまで拠り所として世界が積み上げてきたものが、これからどうなっていくのだろうかと心配になってしまいます。今日の祈りの中に被団協の方々がノーベル平和賞の授賞式を受賞されたことが取りあげられていました。この受賞は世界の平和のための確かに重要な一歩でしたが、世界の戦争の状況には今も危機的なものがあります。皆さんはどのように感じているのでしょうか。
このような時代に大事なこととして、色々な考え方が挙げられています。対話を通して解決を探していくことが大切だとする考え方があります。対話は私たちも目標に挙げて大切にしていることです。簡単に答えを求めようとせず、答えがみつからない状況にも持ちこたえる力が必要で、その中でより良いものを求めて模索し続けることが大切だという考え方もあります。簡単に白黒つけようとしない姿勢です。それぞれに意味があり、取り入れたいものがあります。
このような考え方には、聖心の卒業生たちも皆きっと同意してくれるだろうと感じます。その上で、聖心生なら、きっと祈りも大切にしていると私は確信しています。祈ることは大事なことです。私たちは毎日の学校生活を朝の祈りで始め、祈りをもって一日を閉じています。皆さんの祈りには、その日の具体的なことがらや自分たちの生活に関わることもあれば、世界のことや遠くで困難に出遭っている人のための祈りもあるでしょう。祈りはより良いものを願って、今という現在から未来に向かっていくものです。そして、希望があります。卒業生たちの聖心での大事な学びの中には、この祈りというものがきっとあるでしょう。学校生活でよい友人を得たこと、様々な経験をしたことも聖心の学びの重要なことでしょう。しかし、祈りも大事なこととして捉えていることでしょう。聖心での日常を離れてみて気づくことなのかもしれません。皆さんはどのように思いますか?祈りはどのようなものだと考えていますか?一度、振り返ってみましょう。