校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

10月17日18日 感ずべき御母の祝日の祈り 本当に価値あるものに私は向かっているのか

2024.10.18

 秋は宗教行事の季節です。感ずべき御母の祝日がまず巡ってきました。この祝日には、後に聖心会修道女となったポーリーヌ・ペルドゥローによって描かれた聖心のためのマリア様の絵を前に、ステージごとに聖堂に集まって祈りを捧げます。

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 世界中の聖心でこの絵の前でお祝いの祈りをしています。どの聖心でもこの絵は大事にされています。世界の聖心の生徒とつながれる祝日の一つです。

 本当の祝日は10月20日です。その理由を知っていますか?この絵が描かれたのは1844年ですから、今からちょうど180年前ということになります。それから2年後の1846年10月20日、その当時の教皇ピオ9世が聖心を訪問されてこの絵を見てすばらしいと感じられ、「Mater Admirabilis 感ずべき御母」とおっしゃったという出来事がありました。そこで、この日を記念して、この絵は「Mater Admirabilis」と呼ばれるようになり、10月10日をお祝いの日に定めました。

 感ずべき御母のご絵のカードに書かれているお祈りを考えてみたいと思います。美しい祈りです。次のように書かれています。

 「感ずべき御母、静けさと落ち着き、伏せられた目の光、あふれる平和、豊かな恵み、目に見えない大切なものの母。

  私たちの目を、見えるものから、あなたの見ておられる、見えないものへ導いてください。

  目に見えない存在、目に見えない生命、目に見えない行い、目に見えない愛へ。

  大切でないものに惑わされやすい私たちが、真に価値のあるものを理解し、それを望むことができますように。」

 「本当に大事なものは目に見えない」と言われます。「星の王子さま」の本の中にもこの言葉が出てきます。歌の歌詞の中に出てくることもあります。確かにそうです。しかし、この絵を見ながら、このことを考えると、正直なところ、いつも矛盾を感じてしまいます。絵を見るときには、一生懸命に目に見える絵を見るからです。

 それなのに、なぜ?この祈りが導くものは何なのでしょう?

 「目に見えない大切なものの母」とはどのようなことなのでしょう。マリアはイエスの母です。しかし、イエスは人として、目に見える存在として生きられたのではありませんか。では、マリアが見ている、目に見えないものとは何なのでしょうか。目に見えない存在、生命、行い、愛とは、どのようなことなのでしょうか?

 この絵のマリアは、目を伏せて祈っている姿に描かれています。ゆりの花と糸紡ぎと本の3つを備えて、目を伏せて祈ることで、3つのものを一つに束ねているかのようです。魂、知性、実行力の3つが、それぞれしっかりした良いものに育っていたとしても、それらがばらばらでまとまりがなかったら、力を発揮できず、正しい方向に向かわないと意味のないものになってしまいます。そのように考えると、マリアの祈る姿は意味深いものです。私たちに向かうべき方向を示してくれます。

 目に見えるものとは、比べられるものであり、人から評価されるもの、物として自分の外にあるものではないでしょうか。一方、目に見えないものとは、自分の心の中にあるもの、人と比べられない、自分だけの唯一のもの、そして、神さまと共にあるものではないでしょうか。   

 常識的に言えば、目に見えないものはわかりづらいもの、わかり得ないものです。しかし、それにもかかわらず、目に見えないものを「見る目」が大切だ、それを見極めることが大切だと、この絵による祈りは教えてくれます。

 目に見えるものを知ることも、大変なことです。よく見て、観察しなければなりません。目に見えないものを知ることは、もっと大変なことです。心の中をよく見て、観察しなければなりません。簡単にはできないことです。本当に落ち着いて、しっかり見る習慣が必要です。それは祈りの習慣でもあるでしょう。これは大事なことです。気まぐれや思いつきでなく、自分の心をいつもしっかり見つめることの大切さです。そして、そこに自分の心の物語を作っていくことになります。これは自分にしかできない作業です。

 私はどこに向かっているのか、本当に価値あるものに私は向かっているのか。感ずべき御母の絵からこのことを問われていることを、この祈りは表しているのではないでしょうか。私の魂・知性・実行力はどこに向かっているのか、問われています。目に見えない本当に大事なものに向かっているのかどうか。このことを今日は皆さんと一緒に祈りたいと思います。

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