校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

6月5日初等科朝礼 100年前のポーランドの子どもたちへの支援

2024.06.05

 5月31日に東京広尾にある福田会(ふくでんかい)で、シベリア孤児来日100年記念式典が行われ、お招きを受けて参列してきました。100年前にどのようなできごとがあり、今回招かれることになったのかを話しました。100年前の聖心の生徒たちも、この大事な出来事に関わらせていただいていたということです。今回このことを知ることになり、大変うれしく感じています。上の画像は福田会での今回の式典でいただいたリーフレット表紙です。

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 先週はウクライナの話をしましたから、今週はウクライナのお隣の国、ポーランドの話をします。ポーランドは今ではウクライナを助ける国になっていますが、昔はとても大変な時もありました。そのポーランドと日本の間には100年前に大事な出来事があり、5月31日にその100周年の記念式典が行われました。私もお招きを受けて行ってきました。そのお話をします。

 ポーランドはまわりにとても強い国がいくつもあって、まわりの国との関わりでは色々な事件があって、ポーランドの国がなくなってしまった時代もありました。100年くらい前もとても大変でした。そのころポーランドの人々の中では、とても多くの数の人がロシアの北の方のシベリアという寒い所に住んでいました。どのくらいの人数だったかと言うと、15万人から20万人くらいと言われていて、港区に住んでいる人全体の数が23万人くらいのようですから、それよりは少ないですが、それでも大変な数の人々です。

 100年くらい前のシベリアは平和がない状態になってしまい、ポーランドの人々も大変な状況でした。お父さん・お母さんを失ってしまった子どもたちがたくさん出てしまいました。それで、その子どもたちを助けなければ、なんとかしてポーランドに連れて帰らなければということになって、いくつかの国に協力をお願いしましたが、なかなか助けてくれません。その特に、日本が協力を申し出て、助けてくれることになりました。そこで、シベリアからロシアの一番東の港に子どもたちを連れていって、そこから船に乗せて、日本海を渡って敦賀という所に来て、そこから汽車に乗せて東京に連れてきました。そのとき、子どもたちを助ける仕事をしていたのは日本赤十字社でした。今でも広尾には日赤病院があります。その広尾に子どもたちを連れてきて、日赤の近くにあった福田会(ふくでんかい)という仏教の方々による子どもたちのための施設にお願いすることになりました。そこでは、ポーランドの子どもたちに食べ物や着る物をあげて、安心して生活できるようにして、勉強したり、遊んだり、病気になったら日赤病院に行って治療したりすることができるようにしました。子どもたちはそこで1年間くらい生活してからアメリカやイギリスに行って、そこからポーランドに帰ることができました。

 ポーランドの子どもたちはキリスト教カトリックの信徒の子どもたちです。麻布のカトリック教会も子どもたちを助ける仕事に協力しました。そして、聖心の子どもたちや生徒もポーランドの子どもたちの支援に協力したそうです。お菓子を持って行ったり、訪問して一緒に遊んだりしたのでしょう。この100周年の記念にあたって、福田会の方から聖心にその時の活動の記録がありませんか、とお尋ねされましたが、残念ながら聖心には記録が残っていません。でも、今回お尋ねされたことで、私たちの学校もポーランドと日本の間のこの大事な出来事に関わっていたことがわかりました。それで、私も記念式典にお招きを受けたのです。

 ポーランドには今も日本に助けられたことを覚えていて大事にしてくれている方々がいるそうです。もうおじいさん、おばあさんになっています。今でも覚えていて感謝してくださっているそうです。そして、その方たちの子どもや孫たちも覚えていて日本のことを感謝しています。今回の記念式典には、日本の人も集まっていましたが、ポーランドの人も来ていました。そして、今回の式典のために大きな写真を記念碑にしました。そこには、ポーランドの子どもたちと日本の人が一緒に写真に写っています。

 このことで、聖心はずっと昔から困った人を助ける学校だったということがわかりました。聖心も協力していたことがわかりました。今日のお祈りにも聖書のイエスの言葉が出てきました。イエスは「重荷を負った人は私のところに来なさい」と言っています。困った人を助けるということです。聖心ではイエスのみこころに倣おうとしています。昔の聖心の子どもたちはそうでした。私たちもそれを受け継いで、人を助ける人になっていきましょう。

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