校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

3月14日高等科修了式 「かずゑ的」

2024.03.15

 3月2日に12年生を卒業式で送り出し、11年、10年生も学年末を迎え、終了式を行いました。終了式は今学年をふり返るときです。この2月に10年生がハンセン病問題に関するシンポジウムに参加する機会を得ましたが、ハンセン病回復者の宮崎かずゑさんに取材した現在上映中の映画「かずゑ的」を紹介して、生徒たちと改めて考えました。上の画像は映画のチラシです。

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 修了式を迎えました。3月11日は東日本大震災の日でした。数日遅れですが、これを思い起こし、元旦の能登半島地震のことも合わせて祈りましょう。

 今年は5月以降、コロナ禍に対する対応が変わり、学校生活では色々な活動を行うこともできました。委員会や行事、クラブ活動などで様々なチャレンジができたのではないでしょうか。色々な活動を再開できたことで、これまで皆さんの中で休ませていた部分を使うことになり、特に、人間関係の作り方には苦心したところもあるかもしれません。今年は学校目標「私から私たちへ」の中で、特に「対話」を取り上げました。対話は、問いかけること、話すこと、聞くことによって成立します。おしゃべりも楽しいものですが、対話はそれよりももっと深いものです。必ずしも相手と意見が一致するとは限らなくても、対話するということそのものが大事だとも言われています。皆さんは今学年の間にどのような対話を体験しましたか。話して良かった、聞けて良かったという機会がありましたか。

 今日の聖書朗読はイエスが重い皮膚病の人を癒やすエビソードでした(マルコによる福音書1章40節から)。イエスは重い皮膚病を患う人と出会います。その人から「みこころなら、私を清くすることができます」と言われます。これはある意味で「問い」です。「そのようにしてくださいますか」とこの人はイエスに問いかけています。それに対して、イエスは深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい、清くなれ」と言われると、たちまちその病は去って、その人は清くなったとあります。「よろしい」という言葉は少し固い言葉です。良い、悪いという判断が含まれているようにも聞こえ、意味がつかみにくいですが、英語の聖書の中で非常に口語的な言葉遣いのものでは、「よろしい」にあたるところを「I want to」としています。つまり、相手の願いに対して、単純にイエスがそう望んだ、その人の願いに同意したということです。そして、イエスは手を差し伸べて、その人に触れた、という動作によって、その人と深い関わりを築いています。

 イエスとこの人との間にある言葉のやりとりは短いものですが、この二人の間には深いやりとりが交わされています。そして、病が癒やされた後、イエスはこの人が共同体にもどれるようにしています。重い皮膚病を患う人は、当時の社会からは除外されていたからです。ここには大きな分断がありました。この人が病を癒やされるということは、この人の個人的な問題であるだけではなく、共同体との関わりの問題でもあったのです。イエスはこの大きな分断を、病気の人と「人」として出会い、対話することによって、一気に越えていきました。そして、神様もここにいてくださるということを示したのです。まわりの人にとって、イエスの行動は大きな驚きであったでしょう。

 聖書の中で重い皮膚病とされる病が、現代の社会ではハンセン病を指していることを皆さんは知っています。ハンセン病については、この2月に10年生の方たちがハンセン病の回復者と回復者のご家族に対してインタビューを行い、聞き書きをしてシンポジウムで発表するという活動に参加しました。そのシンポジウムについては朝礼で皆さんにもお話ししましたので、この発表を聞く機会を得た方も皆さんの中にいるでしょう。私は、学校としてこのシンポジウムに参加する機会を得たことはとても意味深いことだったと感じています。そして、この聞き書きの活動だけでなく、朗読のボランティアに参加している方も皆さんの中にはいるでしょう。ハンセン病に対しては、現代の社会の中にも理解が乏しく、まだ差別の感情もあります。そして、高齢になられた回復者の方々は今でも心に重いものを抱えていらっしゃいます。お話を聞くことで対話がなされ、そこには共同体が作られていきます。私たちがその方の世界に入れていただき、その方々に私たちの共同体に来ていただきます。

 今、ハンセン病に関する一つの新しいドキュメンタリー映画が公開されています。熊谷博子という監督が制作されたものです。先日、観にいく機会を得ました。「かづゑ的」という変わったタイトルです。「かづゑ」というのは映画に登場する、ハンセン病の回復者の94歳になる女性の名前です。この方は岡山県にあるハンセン病回復者の方のための施設、長島愛生園というところに住んでいます。私はこの方について、10年ほど前の別のドキュメンタリー映画で知り、とても感銘を受けました。学校の図書室にはこの方の書かれた本もあるので、それも読みました。そして、月日が経つ今、今もお元気だろうかと気にしていたところでした。この方は10歳で発病して以来ずっと療養所で生活し、今は回復していますが、後遺症によって身体の不自由があります。それでも、とてもみずみずしい感性の持ち主で、病気という事実を受け容れて、まっすぐに生きようとしています。映画の中では、この方の抱える苦しみがどれほど深いものであるかも伝わってきますが、同時に、その苦しみを乗り越えていく強さも伝わってきます。

 この映画は、かずゑさんと監督の方との対話があって成立しているものです。ドキュメンタリーとしてかずゑさんの生活に取材し、かずゑさんの語る言葉が記録され、ここには問いかける監督の思いと、それに応えるかずゑさんの思いの対話があります。

 高齢と病気の後遺症という二つのものを抱えている厳しい現実を撮していながら、とても美しいものがこの映画にはあります。皆さんの日常からはとても遠いものだと思いますが、人間の生き方にはこのような深さもあるのだ、ということをこの映画は伝えています。ぜひ皆さんにも観てほしいと思い、紹介しました。有楽町と東中野で上映されています。皆さんが何か越えがたい壁にぶつかったとき、かずゑさんのような人をもし知っていたら、きっと支えになってくれるだろうと私は思います。

 春休みは4月の新学年に向けて、期待をもって、未決定の、少しのびのびする気持ちをもてる時期です。同時に、今年度に終わりきらなかった課題を抱えて、今後に向けて直面しなければならない時期でもあります。この狭間の時期を上手に活かして、4月の新学年に向けて皆さんが進んで行ってくださることを期待しています。良い春休みを過ごし、4月を迎えましょう。

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