校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

2月14日初等科朝礼 灰の水曜日

2024.02.14

 カトリック教会では今年は2月14日に「灰の水曜日」を祝い、3月31日の復活の主日までの40日間を四旬節としています。ちょうど水曜日の初等科朝礼の日にあたり、「灰の式」への招きの話をしました。中高等科の朝礼でも話をし、ご復活に向かう心構えとしました。上の画像は校庭のソテツです。

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 今日は灰の水曜日です。イエスのご復活までの40日間を大切に過ごしていく始めの日です。今日は2月14日で、バレンタインデーとしてチョコレートを買ったり、あげたりする日と考えている人もいると思いますが、カトリック教会では灰の水曜日として大切な日です。3月31日の今年のイースター、ご復活までの大切な日々の最初の日です。それでは、私たちは何を大切にしていくのでしょうか。

 イエスは私たちにとても大切な人です。大切な人の一生については、まず一生の始め、生まれた時を大事にします。お誕生のお祝いはクリスマスです。私たちもクリスマス・ウィッシングをして、イエスが生まれた喜びをお祝いしました。そして、大切な人の一生の最後も大事なことです。亡くなった時、いのちの最後の死の時も大事にします。イエスの死は十字架の上でのことでした。ですから、聖堂には大きな十字架を飾って、イエスの亡くなられた時のお姿を表しています。普通なら、どなたかが亡くなったら、お葬式をして、お墓に納めて、その方の人生は終わります。しかし、イエスはちがいました。イエスのいのちはそこで終わりではありませんでした。新しいいのちをいただいて、復活されます。それをご復活・イースターでお祝いします。これはとても不思議なことで、神様の大きな恵みでした。このことをよく考えて大事にしたいです。死について、いのちについて、考えてみる色々な問題があります。生きることの意味についても考えなくてはなりません。

 まず、「いのち」とはどのようなことなのでしょうか。今日の灰の水曜日にはこのことを考えるために、灰の式で灰を少しずついただきます。この灰は、私たちは神様からいのちをいただいて、そのいのちには終わりがある、だから大切に生きたいということを表しています。灰の式の灰は特別なものです。去年の3月に「枝の主日」というお祝いで使った枝を大事にとっておいて、枯れて乾燥したものを燃やして灰に作ります。学校では、本館の前に生えているソテツの枝を使っています。

 灰の式では、灰を少しずつ額にいただいて、いのちを大切に生きる、ということを考えます。いのちを大切にして生きることを「回心する」とも言います。「かいしん」を漢字で書くと、いくつかの書き方が考えられますが、灰の水曜日の「回心」は、「心を回す」という字を書きます。では、心を回すとはどのようなことでしょう。心をくるくる回すということではありません。どこを見て進んでいますか?正しい方向を見て進んでいますか?正しい方向を見ていないと、変なところに行ってしまいます。正しい方向に進めるように向きを変えましょう、それを「心を回す」で表しています。正しい方向とはどちらでしょう?

 聖書を読むと、イエスの周りには色々な人が集まっています。群衆と書いてあることもあります。たくさんの人がいれば、イエスの話を聞いていても色々な聞き方があったでしょう。イエスの話を聞いて、よく考えて、本当に大事なことだとわかって、イエスのようになりたいと思って努力する人がいるでしょう。うまく行かないことがあっても、少しずつでも努力を続ける人がいます。しかし、イエスの言葉の通りにしようと思ってもうまくいかないと、あきらめてしまう人もいます。イエスの話をよく聞かない人もいるかもしれません。他のことに気がとられていて、イエスの言葉に集中できないのかもしれません。イエスの話を聞いても、自分には関係ないと思う人もいたでしょう。他にもっと良いこと、おもしろいことがたくさんあるから、私はいいですという考える人もいたでしょう。そして、イエスの話は良いかもしれないけれど、面倒だからやってみないという人もいるかもしれません。イエスの周りのにはこのように色々な聞き方をしている人がいました。人はそれぞれ自分の聞き方によって、向かっている方向が違います。それでは、皆さんのイエスの話の聞き方はどうなっているでしょうか。

 今日は灰をいただいて、一人ひとり「私」の向かっている方向について考えてみます。私は本当にイエスを大切にしているかどうか考えます。灰の式は、休み時間に聖堂で学年ごとに行います。先生と一緒にいらしてください。灰を少しずついただいて、自分がイエスに向かっているかどうか考えて、お祈りしましょう。

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