校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

5月24日初等科朝礼 惜しみない心は、損得の考えがない心

2023.05.29

 この日の朝礼は6年生と4年生が集まりました。5月25日の創立者の祝日を前に、学校で大切にしている「惜しみない心」について考えました。初等科の運動会では創立者の言葉を皆で暗唱します。本校卒業生の絵本作家児島なおみさん著の絵本の中に出てくる言葉をもとにしています。この絵本は創立者について子どもにもわかりやすく伝えてくれています。校内には創立者の祝日に向けて、創立者の絵が飾られています。上の画像も今回の話の中に出てくるもののうちの1枚です。

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 聖マグダレナ・ソフィアの祝日に向けて、初等科の講堂に上がる階段には聖マグダレナ・ソフィアの生涯を表すすてきな飾りが掲示されています。ぜひ見てみましょう。

 運動会の開会式の前に聖マグダレナ・ソフィアの言葉を皆で言います。覚えていますか?「神さまの愛を学校で教えてもらった子どもたちは、大きくなったらまわりの人みんなに、自分が習ったことを惜しみなく分けることでしょう。やさしさを、思いやりを、人につくすことを」です。とても大切な言葉です。児島なおみさんの絵本の中のとてもすてきなページにこの言葉は書いてあります。色々な子どもたちが手をつないで走っている絵のページです。神さまの愛を学校で教えてもらったら、それを自分のものとして身に着けて、実行します。「惜しみなく」というところが良いところです。「惜しみなく」とはどのようなことでしょうか。神さまの愛はいただいたものですから、自分だけのものにしておくことはできません。とてもすてきなものだから独り占めしたら、もったいない。分けてあげて、たくさんの人に喜んでほしい、そのように思うのでしょう。「惜しみなく」ですから、少しだけではなく、たくさん、たくさん分けてあげて、全部分けてあげる、そのように惜しみなくできたらすばらしいですし、ぜひ、そういう人になりたいです。

 さて、皆さんは「損」とか「得」とか考えることがありますか?「損しちゃった」とどのような時に思いますか?「得」はどうでしょうか。「得した」とは、思っていたよりも良かった時に言うかもしれません。たくさんもらえた、早く済んで楽だった、など、思いがけず良かった時にきっと言うでしょう。「損」はどうですか?期待していたのに悪かった、少なかった、不公平、誰かがずるいなど、「誰かが得をして私は損だ」のようなことでしょう。損をしたというのは嫌な気持ちです。

 12年生の上級生たちと、ある時、すてきな生き方について考えました。その時に、自分から進んで損ができる人というのがとてもすばらしい生き方だと一人の卒業生が書いている文章を読みました。それを読んで、皆でこれはちょっと難しいと思いました。損をするのはやっぱり嫌だなあ、だから自分から進んで損をすることが本当にできるのか、と思いました。それでも、皆で考え続けていたら、誰かが「損をすることは人のために何かをするとか、奉仕するとかにつながるかな」と言い出しました。そうしたら、別の誰かが「惜しみない心で、にも似ているかもしれない」と言いました。それで、皆で「あー本当にそうだ」と感じました。

「損をする」と言うと、嫌なことに聞こえますが、「惜しみない心で人のために何かする」ということは聖心の子どもなら皆、これは大事なことで、当然と思って実行しています。そのことをよく考えてみました。「惜しみない」ということは、自分のもっているものを人にたくさん分けてあげることなので、もしかすると、自分には損なことなのかもしれない、惜しみない心で人に尽くすということは、自分から損をすることでもあったんだ、それなのに、損か得かなんて考えたことはなかった。損だとしても、惜しみなくできたら、相手の人も喜んでくれるし、自分もうれしい。だから、自分から損ができることは嫌なことではない。このことに皆で気がついてびっくりしました。

 惜しみない心には、損とか得とか関係ありません。このことを心にとめておきましょう。運動会でこの言葉を言うときにも思い出してください。

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