校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

5月9日中高等科朝礼 

2023.05.09

 連休が明け、日常の学校生活が始まりました。新たな気持ちで取り組んでいます。今回は伊藤亜紗さんの本にヒントを得て、「ことば」について考えました。生徒たちの会話に、その人ならではのことばが聞かれるようであってほしいと願っています。(NHK出版 学びのきほん 「感性でよむ西洋美術」 NHK出版 2023年)

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 連休では色々な活動ができたでしょう。この3年間控えていたようなことも再開されてきました。コロナ対応も緩和されています。とは言え、学校生活では、手を洗うことや換気にはこれからも心がけましょう。

 連休中には私も庭仕事をしたり、人と会ったり、日頃と異なることをしました。その中で伊藤亜紗という方の本に出会いました。皆さんに紹介します。伊藤亜紗さんはある大学の教授で哲学の中でも美学を専門としています。1冊の本の中で、美学って何ですか?美術史と違うのですか?という質問が出たときのことが書いてあります。美学と美術史は違います。美術史は絵画や芸術の歴史を扱います。美学は「感性など、言葉にしにくいものを言葉で分析する哲学的な学問」と説明しています。言葉にしにくいものを言葉にする。これはどのようなことなのでしょう。とにかく、伊藤亜紗さんは言葉による表現に関心がある人らしいとわかります。そして、この方はは場広く色々な人と出会う活動も試みています。

 たとえば、このような活動です。視覚に障害のある人と一緒に美術館に行って、絵を見ることを楽しむ。視覚に障害のある人とない人が一緒に楽しむのであって、障害のない人がガイドするということではなさそうです。もし、私が参加したとしたら、絵の前に立って、絵の解説や説明をすれば良いのではなく、私が私の言葉で語ることが問われるらしい。もちろんどのような絵なのか説明するのですが、自分の言葉で、絵の中に何があって、どうなっていて、それがどのように見えて、どのように描かれていて、私は何がおもしろくて、何がわからない、などなどを話すことが求められます。そうすると、きっとそこで対話が生まれるのでしょう。質問が出たり、一緒に考えたり。

 しかし、美術館に行ったら、普通は静けさを保って、周りの人の鑑賞の妨げにならないようにするのではないでしょうか。それぞれの人の感じ方を大切にして黙る。その意味では、伊藤亜紗さんの発想は少し違います。ですから、この活動は急にやったら迷惑になるかもしれないので、事前の計画が必要です。自分が見ているものを言葉でどのように表現できるか、表現するのか、改めて考えてみるとおもしろいです。もしかすると皆さんは美術の授業でこのようなことをすでにしているかもしれません。どのような言葉で表したとしても、正解はありません。その人の感じ方、感性の問題です。

 伊藤亜紗さんは「感性でよむ西洋美術」という本の中で、絵を「感性でよむ」ことについて説明しています。絵を感性でよむときは、情報や知識の問題ではなく、自分の感じ方を大切にします。また、センスを磨くとか直感を鍛えるということでもない、と言っています。むしろ、言葉をしっかり使うことが大切で、「考えつつ、感じる」ことだと説明しています。そして、持っているけれど、使ったことのないボキャブラリー、たとえば「崇高な」や「優美な」といった言葉を引っ張り出してつかってみてはどうかと言っています。絵を見ても、初めは「すごい、やばい」などしか出てこないかもしれないけれど、ちょっとがんばって持っているけれど使ったことのない言葉を使ってみては、としています。そうするとだんだん言葉がなじんで使えるようになってきます。人の言葉を聞いて、自分にとってしっくりくる言葉がみつかることもあります。立派なことを言おうとしなくて良い。色々な言葉を言ってみることも大切です。

 このようなことを読んで、考えました。聖心で私たちが沈黙を大切にし、振り返りをし、分かち合いをしていることは似ているかもしれない。言葉にならないものを感じ取ろうとし、振り返り、言葉にしようと試みる、そして分かち合う。日頃友だちとしゃべっている時には使わない言葉が自分の感じていること、考えたことを表す言葉となることがあります。今の感じにぴったり、しっくりくる、このような言葉は伝わります。

 いつでも皆が共通して使えるわかりやすい言葉もあります。しかし、自分にしか、その時にしか使えない言葉もきっとあります。皆さんにはそのような言葉を大切にできる人になってほしいと願っています。そして、そのような言葉がたくさん聞かれる対話が、皆さんの間にたくさんあるようにとも願っています。

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