校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

4月19日初等科朝礼 見ないで、信じること

2023.04.19

 初等科講堂での朝礼が始まりました。2学年が講堂に集まり、他の学年は教室で映像を見て参加します。今回は6年生と3年生が集まりました。今年度の目標にちなんで聖書のイエスの復活後の場面から、ディディモと呼ばれるトマスの話(ヨハネによる福音書20章24~)を取り上げ、話を聞いて、信じることについて考えました。上の画像はカメルーンのJesusMafaというアート集団の作品です。聖書の物語を自分たちの生活の状況において描いています。白い衣服をまとって左にいるのは天使で、女性たちがイエスの墓を見に来たときに、イエスは復活されてここにはいない、と告げる場面です。どこか西欧絵画とは異なる威厳とユーモアが感じられる天使の姿と女性たちの生き生きした様子が印象的です。

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 始業式で今年度の目標についてお話ししたときに、聖書からイエスのご復活のときの二人の弟子の話をしました。二人の弟子はイエスとお話しして、イエスが一緒にいてくれることに気づいて元気になりました。イエスが自分たちの気持ちも疑問もわかってくれて、ちゃんと疑問に対してわかるように答えてくれたということがとてもうれしかったのです。

 今日は別の弟子の話をします。ディディモと呼ばれるトマスは、弟子たちのみんながイエスに会ったときに一緒にいませんでした。仲間たちはイエスが今も一緒にいてくださることをトマスに一所懸命に話しましたが、トマスは信じることができませんでした。何で自分だけ会えなかったのか、不公平だと思ったかもしれません。とにかく信じられない気持ち、自分だけ取り残されたような気持ちだったかもしれません。だから、イエスに自分も会って、イエスの手や身体の傷跡があるかどうかちゃんと確かめてみるまで信じませんと言っていました。

 さて、そうすると、「8日たってから」と聖書に書いてありますが、トマスも他の弟子もみんながいるときに、イエスがまた現れて、まず、みんなの真ん中に立って「あなたがたに平和があるように」と言いました。これは、みんな安心しなさい、落ち着いて、お互いを大切にしなさいという意味でしょう。それからトマスにイエスは自分の手と身体の傷跡を見せて、「さわってごらん、信じる人になりなさい」と言ってくれます。それを聞いて、イエスはすぐにイエスだとわかりました。トマスはびっくりしたでしょう。仲間の言葉をすぐ信じられなくて、疑っていたことをイエスが知っていたからです。でも、イエスはトマスの疑っていた気持ちも大切にしてくれました。イエスはトマスに「見たから信じたのか。見なくても信じるひとは幸い」と言います。

 私はこの話がとても好きです。すぐに信じられなくて、疑っていたトマスをイエスが大事にしてくれたからです。自分で見なくても、人の話を聞いて信じられたら、とても良いことです。人の話を聞いて、本当だとわかって信じることはとてもすばらしいことです。イエスの弟子たちはイエスと一緒に生きていて、イエスに自分で会うことができたから良かったですが、私たちはそれからずっと後に、何年も何十年も何百年も2千年も経ってから日本に生まれたので、イエスに自分で会うことはできません。人の話を聞いたり、イエスや弟子たちの話が書いてある聖書を読んで、信じるしかありません。自分では会っていなくても、人の話をよく聞いて信じます。イエスはこのことを分かっていて、人の話を聞いて信じる私たちのことも喜んで大切にして、私たちと一緒にいてくださる、このことがトマスの話からわかります。

 話を聞くことは大切です。自分で確かめることも大切ですが、人の話を聞いてわかることも大切です。本当だとわかったら、その考えや気持ちも大切にします。そのようにしてイエスに喜んでいただきましょう。

 このディディモのトマスの話は聖書のヨハネによる福音書の一番最後のところに出てきます。5・6年生は聖書を持っていますから、自分でも読んでみましょう。

 

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