校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

2月1日中高等科朝礼 病者のケアと使い捨て文化           2月11日世界病者の日に向けて

2023.02.04

 2月11日はカトリック教会では、ルルドの聖母の記念日でもあり、「世界病者の日」と定められています。学校にもルルドがあり、児童・生徒に親しまれています。カトリック新聞の記事を引きながら、生徒と共に教皇フランシスコの言葉について考えました。画像は校内のルルドです。

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 2月11日は日本では建国記念の祝日ですが、カトリック教会ではルルドの聖母の記念日で、「世界病者の日」ともされています。学校にもルルドがあり、岩の中にマリア様の像が立っています。これはフランスのルルドの町の場所を真似たものです。

 皆さんも良く知っているように、ルルドにはきれいな水の出る泉があり、そこにマリア様がいらして病気の癒やしについて語られたと伝えられています。そこの水には特別な力があり、多くの人の病気が癒やされたとも言われています。ここには多くの人が祈るために集まる、とても美しい祈りの場所となっているということです。そのルルドのマリア様の記念日が、世界の病気の人々のための日と定められているのです。

 この「世界病者の日」に向けて、教皇フランシスコがメッセージを出され、このことがカトリック新聞に記事となっていましたが、その見出しに目が留まりました。病人への対応は「使い捨て文化の指標」となっていたからです。

 この見出しはどういうことなのでしょうか。何のことかと驚かされました。使い捨て文化と、病人への対応には結びつく点があるのでしょうか?どういうことなのでしょうか。病院などでの治療では、使い捨てにするものは確かにたくさんあります。ワクチン接種の注射器など、一回使ったら終わりとする器材があります。ディスポーザルな器材は衛生的で便利です。そのようなもののことを言っているのでしょうか。

 記事の本文を読んでみると、教皇は病気の人々に対してどのような対応をとっているか、本当に温かい対応をしているかどうか私たちは問われている、と投げかけているのだということがわかりました。病気の人はケアを必要とする人で、手がかかります。弱い立場の人々で、役に立つかどうかと言われれば、役に立たない人々です。そのような人々を本当に大切にしているのかどうか。もし、そのような人々を迷惑がったり、大切にしなかったら、それは役に立たないものは切り捨てる、使い捨てるということと同じではないか、と問いかけているのです。

 もし、そうであったら、病気の人々を「人」としてでなく、「もの」として見ていることになります。ですから、病気の人への対応の仕方は、「使い捨て文化」の度合いの指標となるということなのです。

 どうでしょうか。私たちの身の周りでは幸いなことにそのようなことはないかもしれません。しかし、厳しい現実は世界の中にはあって、教皇フランシスコは最も弱い立場の人に心を向けているのです。

 病気になって仕事を続けられない。仕事の場にはすぐ次の人が雇われる。回復して元気になったとしても仕事がない。このようなことが想像できます。

 また、教皇フランシスコは別のところで、病気のケアは贅沢品ではない、とも発言しています。お金のある人だけが治療を受けられ、費用を払えない貧しい人が大切にされない、医療やケアを受けられない、そのようなことがあってはならないと言っています。

 教皇フランシスコはカトリック教会の代表で、信仰を生きる人です。信仰を生きるために祈ります。しかし、信仰を生きるとは、それだけではありません。信仰をもって、イエスの心で生きるとしたら、それは気持ちの上のことだけではなく、社会の現実を生きることで、社会の仕組みにかかわることです。

 ルルドのマリア様はやさしく慈しみをもって病者に対する、というケアの心のシンボルです。その心で社会の仕組みをどう見るかも、同時に私たちは問われるのです。

 神様のものの見方を聖書や祈りを通して学び、私たちのものの見方に新しい視点を得て、社会の現実を見て、生きていくように私たちは呼びかけられています。

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