校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

10月18日 サードステージ「感ずべき御母」の祝日 女子として学ぶことの意味 

2022.10.19

 「感ずべき御母」の絵は聖心のマリアとして、世界の聖心で大切にされています。今年も10月20日の祝日が巡ってきました。18日からステージごとに祝日の祈りを行います。サードステージ、セカンドステージは聖堂で、ファーストステージは教室で放送で、それぞれ祈りを捧げます。聖堂に集まった生徒たちは、Mater Admirabilis の聖歌をオルガンを聴きながら心の中で歌いました。

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 今年も「感ずべき御母」の絵を前に、聖心の生徒として目ざす姿を心に新たにしましょう。この絵に込められた3つのシンボル、清い心、学び、働きが自分のものとなるように祈りましょう。特に、このマリアの絵に学ぶことが描かれている意味を心にとめましょう。女子が学ぶことの重要性が表されています。

 一つの絵の中に3つもテーマがあることは欲張りなことですが、これらの3つはどれもなくてはならない、切り離せないものと聖心ではとらえています。そして、これらの3つがバラバラなものではなく、一人の人物の中で統合されて、働き合ってこそ、力を発揮し、意味あるものとなります。ですから、これら3つをまとめるものも、やはりこの絵の中に描かれています。それはマリアの祈りの姿勢です。マリアの祈りの姿勢がすべてを統合してまとめ、心の内に収める力となっています。これが聖心で学ぶ私たちに大切な「感ずべき御母」の特徴です。

 魂と知性、実行力の3つの異なる働きを同時進行させるとなれば、当然忙しくなりますが、それをやりこなせるのは、祈りの落ち着きがあるからです。このことを忘れないように、「感ずべき御母」から祈りの静けさを学びましょう。祈りは皆さんの心をととのえ、まとまりをつけ、よりよい行動へと導きます。

 ちょうど1週間前の10月11日は国際ガールズデーでした。世界の色々なところで女の子たちが自分らしく生きることに向かって意識を高め、声をあげる日です。

 SDGsにはジェンダー平等があります。今年は皆さんとジェンダーについて学んできました。日本の社会の中で女性のおかれている立場には、様々な状況があることに気づいてきました。自分の中の思い込みにも気づいたかもしれません。

 この祝日にふさわしいものとして、コミック作品を一つ紹介します。やまじえびねという作家の「女の子がいる場所は」という作品です。少し話題になりましたので、すでに読んだ方もいるかもしれません。

 サウジアラビア、モロッコ、インド、日本、アフガニスタンの5ヶ国の少女達が登場して、それぞれの国の社会や文化の中で、女性として生きる現実に少しずつ気づいていくストーリーです。女性蔑視の伝統や貧困、女性に不利な社会の仕組みという厳しい現実もあって、簡単に変えられるものではありませんが、女の子たちがただ流されるのではなく、自分の考えをもって生きていこうとする姿が描かれていて、考えさせられる作品です。一貫して流れているのは、女の子たちが学ぶということです。学ぶことにより、状況が違って見えるようになります。女の子たちは自分のことに気づき、他の女の人の状況にも目が向いていきます。視野が広がっていくと、女の子たちは状況を変える力になっていこうともします。

 ジェンダーの視点は、当たり前と思っていたことに対して、新たな見方を投げかけます。弱い立場の人々へと視野を広げることは、「私から私たちへ」の視野を得ることです。まわりの人への想像力をもって、「もし、私がその状況におかれたなら」と考えて見る勇気やゆとりを得ることです。

 「感ずべき御母」と共に、改めて女子として学ぶことの大切さを考えておきたいと思います。この世界の中で学べる環境にあることは恵まれていることです。このことを忘れず、学ぶことで自分らしくなり、流されないで生きる力をつけましょう。祈りによって、様々な活動をまとめながら、ほんものをみつけていきましょう。世界の女の子たちと共に学び、私たちとしてできることをみつけていきましょう。

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