校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

10月27日 中高等科 前期終業式

2022.09.27

 中高等科は前期期末試験と答案返却を終え、終業式を行いました。短い区切りの期間をおいて、来週10月3日には後期を始めます。この機会に今年度の目標について、短いふり返りの時間を持ちました。今回は7・8年生がソフィアバラホールで、9年生以上は各教室への動画配信で参加しました。

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 4月からそれぞれに一生懸命な日々を送ってきました。夏休みもありましたから、色々な事柄を経験してきました。昨日の午後は、みこころ祭の準備や部活動も行われて学校は賑やかでした。そのように、昨年までと比べて様々な活動をしてきました。私たちはまだマスクをし、注意を怠ることはできない生活ですが、少しずつ色々なものを取り戻しつつあります。皆さんの中での手応えはどのようでしょうか。前期末試験の答案返却も終えて、学習の成果も手にしています。どのように感じているでしょうか

  今学年の目標は「私から私たちへ」です。世界・社会の動きは残念ながら明るいものとは言えません。その中で、皆さんはどのようなことができたでしょうか。

 昨日アメリカ人の聖心会シスターAnne Wachterが学校を訪問してくださり、校内をご案内しました。シスターWachter6月までカナダのHalifaxの校長先生を務められ、来年の秋からは東京のインターナショナルスクールの校長先生になられる予定です。皆さんの姿に接して、とても活気があって、楽しそうだし、生き生きしていると見てくださいました。環境にも恵まれた良い学校ですね、と言ってくださり、うれしく感じました。私たちの学校の持っている、共同体としての、「私たち」としての雰囲気や、ここにある良い力を感じてくださったのではないかと思います。

 前期末を迎えた今、改めて考えてみましょう。目標を心において、それぞれ前期の自分の体験をふり返ってみましょう。皆さんは、誰かのために何かすることができましたか?ちょっとした手助けや何かを一緒にするということでも、それは、「私から私たちへ」の体験です。

 逆に、皆さんは、誰かに助けてもらったという出来事もありましたか?迷惑をかけてしまったということがあったら、繰り返したくはないことですが、助けてもらう経験も、「私から私たちへ」の経験です。

 誰かと集まって、一緒に喜んだり、困ったり、怒ったり、悲しんだり、ということも「私から私たちへ」の経験です。

 集まって、話し合ったり、お互いに聴き合ったりしたことも「私から私たちへ」の経験です。

 意見のくい違いから喧嘩するということも、「私たち」という共同体があるからこその経験です。

 その中で、誰かに謝って、赦された、あるいは誰かを赦したという出来事が思い出せたら、それはとても大きな貴重な経験でした。

 今日の聖書の朗読箇所を思い出してみましょう。マタイによる福音書25章に出てくるたとえ話です。王様が人々に向かって、困っているときに助けてれたからと言って報いようとすると、人々は、いつ自分たちが困っている王様を助けたでしょうか、そんなことはありません、と答えます。すると、王様は、自分に対してでなくても、私の兄弟である、最も小さい人の一人にでもしたことは、私にしたことと同じだ、と言って喜んで報いを与えます。

 このたとえ話は、神さまの視点で見れば、何かの良い行いについて、大きい・小さいは関係ない。誰に対してそれをしたかも関係ない。大事なことは、その時、その場で困っている人、特に弱い立場の人を大切にする行動をとること、そして、ひとつ一つの小さなことが、「私から私たちへ」とつながり、神さまに繋がっている、そのようなイエスの考え方を表しています。

 皆さんが、学校生活の中の普通の出来事の中で、お互いを大切にできたら、それはとても意味深いことです。その行動がほんものであったら、お互いの心を深く温めるでしょうし、「私から私たち」として共同体が築けたことになるでしょう。そして、さらに広く、学校の外に向かっても「私から私たちへ」と広がっていくことができるでしょう。

 では、「私たち」の中心にあるものは何でしょうか?自分達だけ良ければ、という閉じたものではないはずです。中心には、イエスと神さまがいらっしゃるのではないでしょうか。私たちが目ざしているのは、そのような「私たち」です。

 聖マグダレナ・ソフィアも「私たち」のセンスを大切にしていました。皆さんの教室には、聖マグダレナ・ソフィアの言葉の日めくりカレンダーがあります。927日の言葉はこうなっています。

 「イエスの言葉に耳を傾けている時の沈黙は、大きな意味があります。つまり、その時の私たちも互いにコミュニケーションをしているのではないでしょうか。」

 私たちは、学校生活の中で、沈黙の時を大事にしています。祈りや聖書が読まれる時です。大人数で集まっていても、静けさを共有しています。お互いに沈黙が大事だという理解を共有しています。その時には、黙っていても、お互いに思いを共有しているコミュニケーションがあります。そして、それぞれがイエスと神さまとコミュニケーションしてもいるでしょう。これが私たちの中心にあることです。神さまを中心としたつながりです。

 自分の中心に何があるか、ひとり一人ぜひふり返ってください。温かいもの、いきいきとしたものがきっとあるはずです。それをしっかりつかんでください。

 これから皆さんはみこころ祭に向けての準備にも忙しくなります。お互いに協力して進めてください。みこころ祭が「私から私たちへ」の経験を深める機会となることを願っています。

 最後に教皇フランシスコの祈りを紹介して終わります。925日の日曜日は、カトリック教会では、世界難民移住移動者の日とされ、世界全体で、故郷を離れた人々、色々な理由で移住している人々、住み慣れた土地を離れた人々を思いを向ける日でした。「私から私たちへ」の考え方で、人々を迎え入れ、新しい共同体になっていくことを目ざします。

 日本の私たちとして考えなければならないことはたくさんあります。次ぎの祈りに耳を傾けて、私たちに呼びかけられていることを聴き取ってください。

教皇フランシスコ 世界難民移住移動者の日(2022925日)のための教皇メッセージより「祈り」

主よ、私たちを希望の担い手としてください。                                       闇のあるところをあなたの光が支配し、                              あきらめのあるところに、未来への信頼が生まれますように。

 主よ、私たちをあなたの正義の道具としてください。                               排除のあるところに、きょうだい愛が花開き、                           強欲のあるところに、共有が咲き誇りますように。

主よ、私たちをあなたのみ国の作り手としてください。                       難民や移民とともに、                                         そして周縁部のすべての住人とともに。 

主よ、私たちに兄弟姉妹として生きることが                            いかに美しいことであるかを学ばせてください。                                アーメン    (カトリック中央協議会Webサイトより転載)

 短い期間ですが、それぞれしっかりとふり返りをし、来週10月になってから、新たな気持ちで後期を始めましょう。

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