トップページ > Spirit of "Mikokoro" > 6月8日初等科朝礼 イエスが大切にした人たち ウクライナの障害者の人たち
4月5日の朝日新聞朝刊で、ウクライナの障害者の方々と連帯する、日本の障害者の方である藤井克徳さんの詩が紹介されている記事をみつけました。子どもたちにその詩を紹介しながら、イエスが大切にした人々について考え、ウクライナの障害者の方々にも思いを馳せました。子どもたちに詩を紹介するにあったっては、原文全体ではなく一部のみを、子どもにわかりやすく少し言い換えさせていただきながら紹介させていただきました。
今回の朝礼は4年生が集まりました。とてもしっかりした姿でした。画像は1年生の図工作品です。
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4年生の皆さんおはようございます。教室の皆さんもおはようございます。
ここに集まっている皆さんは、学年の仲間です。教室の皆さんも同じだと思います。それぞれに大切な仲間です。そして、友だちも大切な人たちです。では、イエスにも友だちがたくさんいたでしょうか。どう思いますか?私はたくさんいたと思います。そして、イエスの周りには、友だちだけではなく、イエスの話を聴きたい、教えてほしい、という人々もたくさん集まっていたでしょう。また、友だちではないけれど、イエスが大切にしたい人たちもいたでしょう。どのような人たちでしょうか。友だちと言えば、気が合う人、話が合う人、おもしろくて楽しい人などですが、やはり、一番大事なのは、一緒にいたい人でしょう。
では、イエスが一緒にいたい人はどのような人だったでしょうか。聖書を読むと、イエスは身体の不自由な人、困っている人、悲しんでいる人、病気の人、耳の聞こえない人、歩けない人、そのような人々を大切にしています。これらの人々の辛い気持ちがわかったのではないでしょうか。
身体の不自由な人たちは生活するのが大変です。4月の始めの新聞で、日本に住む身体の不自由な人たちが、ウクライナの身体の不自由な人たちのことを心配して、メールで詩を送ったということが紹介されている記事がありました。身体の不自由な人たちのことを障害者ということもあります。その詩を読んでみると、日本の障害がある人は、ウクライナの障害がある人と同じ大変さを経験しているので、ウクライナの障害がある人々の今の気持ちがわかって、とても心配していることが伝わります。遠い日本だけれど、魂は近いと書いてあります。仲間としての強いつながりがあって、すごいなあと感じます。
ウクライナの耳の不自由な人が、今どのような状況で生活しているかを知らせるテレビ番組もありました。それを見てみたら、耳の不自由な人は情報が不足しているし、音が聞こえないので、爆撃の警報が鳴ってもわからないし、爆撃があっても音が聞こえないから危険がわからないということです。人々が逃げている様子を見て、爆撃があったことを知り、爆撃の振動を感じて、やっと何が起こっているかがわかる。だから、本当に怖いと感じているということでした。とても大変なことです。
そして、その番組では、日本人の耳の不自由な人が、お友だちのウクライナ人の耳の不自由な人を助けるために、日本に招いたことが紹介されていました。2人のウクライナ人を日本に招きました。その人たちは国際手話で話しているそうです。障害があってもお友だちのこの人たちは本当に温かい、強いつながりがあることが伝わります。障害があるから友だちのことが理解できて、大切にしているのかもしれません。
イエスが大切にした人たちはどのような人たちだったかということを心に留めて、過ごしましょう。
「連帯と祈り ウクライナの障害のある同胞へ」 朝日新聞より転載
戦争は、障害者を邪魔ものにする
戦争は、障害者を置き去りにする
戦争は、優生思想をかきたてる
大量の障害者をつくり出す最大の悪、それが戦争
朝一番のニュースを恐る恐る
キエフの包囲網がまた狭まった
教会も文化財も悲鳴を上げて崩れ落ちる
禁じ手が反古にされ原子力発電所から火の手
殺し合いではなく話し合いを
侵攻ではなく停戦を
停戦ではなく平和を
青い空と黄色の豊作に似合うのは平和
私たちは祈ります
西北西の方角をじっとみつめながら
心の中から希望が切り離されないように
とにかく生き延びてほしい
戦争は、障害をたちどころに重くする
戦争は、障害者の尊厳を軽々と奪い去る
戦争は、障害者の明日を真っ黒に塗りたくる
早いうちに、否、この瞬間に終わらせなければ
もう一度くり返す
とにかく生き延びてほしい
たとえ、食べ物を盗んでも
たとえ、敵兵に救いを乞うてでも
遠い遠い、でも魂はすぐ傍の日本より
ふじいかつのり(NPO法人日本障害者協議会)