校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

6月7日中高等科朝礼 様々なゲームやストーリーの中で いのちを見分けていくことは

2022.06.07

 アジサイの季節になりました。中間試験も終わり、生徒の生活は日常を取り戻しています。様々なストーリーが同時進行する複雑な世界に私たちは生きています。何を大切にして見分けていくのか、生徒たちと一緒に考えてみました。

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 今の世界の中で、私たちは聖心生として、世界の一員として生きようとしています。インターネットが発達して、リアルタイムで世界の様々な出来事を知ることができる、とても便利な世界に生きています。ウクライナの戦争についても、日々状況を知り、色々な写真や動画で現場の光景を見ることができます。私たちもウクライナのことを知り、募金をしようと考えてもいます。また、フェイクな情報もあるので、見分けなければなりません。私たちはとても複雑な世界に生きています。

 交通手段も発達していますから、日本の中にもウクライナから避難している方がいます。ある報道で、日本の写真家がウクライナの状況を現地取材した写真展が開かれることになり、その展覧会の挨拶にウクライナから避難している女性が招かれたことが紹介されました。その方は、自分は写真を見るのが辛い、しかし、これが今のウクライナの現実なので、多くの日本の人々に見て、知ってほしいと話していました。

 この一方で、日本では私たちの普通の生活が続いています。様々なことが同時進行しています。世界のどこかで戦闘状態や厳しい現実があり、同時に私たちの日常があります。色々な情報、そして様々な物語も溢れています。何が大事なことなのだろうと考えているうちに、子どもたちのゲームが気になるようになりました。

 ヴァーチャルな世界、アニメの世界で、武器を使って敵を倒すストーリー、戦闘シーンや暴力が数多く見られます。ゲームの世界ではそれも平気で、楽しく、敵をやっつけて得点になるのはおもしろい、ということでしょうか。でも、いのちをどのように扱っているのでしょうか。敵として、数としてとらえ、ゲームの楽しみとしてとらえているでしょうか。世界の別のところでは、本当に人の生死が分けられているのに。

 私はシスターなので子どもがいませんが、もし男の子の子どもがいたら、何と言うだろうかと考えてみました。ゲームだけでなく、マンガやアニメ、テレビ番組やドラマもそうです。リアルでない戦闘や死の場面をたくさん見ていると、リアルの重みがわからなくなりそうです。子どもには、このゲーム、このストーリーどう思う?ウクライナのことを考えると、こういうゲームやストーリーは辛いね。ウクライナのために何かしようと考えて、募金をしたりするのに、こういうゲームやストーリーは何か苦しいね、と言って一緒に考えてみたいと思いました。

 私たちの日常には色々なストーリーが入りこんでいて、区別が必要です。慣れてしまいたくありません。ゲームやストーリーと割り切ることはできません。リアルで苦しんでいる人がいることを忘れたくありません。教皇フランシスコがあるとき「戦争に慣れないでください」と言っていました。この言葉の重みを改めて考えています。

 人気があったり、流行っていたり、あるいはおもしろいところがあったりしても、一歩立ち止まって、これでいいのか、本当にいのちを大切にしているかと考えてみたいと思います。自分の心に感じるものを見分けていきたい。いのちを軽んじるものには流されないで、Noと言う。そして、いのちを大切にするものを選びたい。いのちを大切にする仲間としてつながりたい。皆さんはどう思いますか?

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