校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

4月13日初等科朝礼  聖週間 イエスの姿

2022.04.13

 初等科朝礼が始まりました。今回も放送で行いましたが、今年度はいつか講堂での朝礼が実施できることを願っています。聖週間にあたり、6年生のお祈りにも復活に向けての思いが込められていました。子どもたちとイエスの姿について考えました。

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 カトリック教会では今週はとても大切な週です。17日の日曜日はイースター、イエスのご復活のお祝いです。神様の聖なる日ですから、今週は聖週間です。聖月曜日、聖火曜日、そして今日は聖水曜日、明日の聖木曜日はイエスと弟子の最後の食事の記念の日、聖金曜日はイエスの十字架の日、聖土曜日は悲しみと祈りの日、そして日曜日がご復活です。毎年、このように曜日でお祝いしています。12月25日にお祝いするクリスマスのように日付で決まっていません。なぜ曜日なのでしょうか?

 それはイスラエルの人々の長い歴史と関係があります。昔からの言い伝えとお祭りの時期と関わっています。

 どこの国の人々にも歴史があり、昔の話があります。良い出来事の話もあれば、苦しいことや悲しい出来事の話もあります。地震、大雨や日照りなどの災害、人々の争い、外国が攻めてくる戦争、そのような大変なことをどのようにして乗り越えたかの話があります。悪いことはくり返さないように覚えておこう、良いことは忘れないようにしよう、とお話になって残っていきます。

 イスラエルの人々にもうれしいことや大変なこと、悲しいことについてのお話があります。その中で、イスラエルの人たちは、どうやって神様と一緒に乗り越えてきたか、神様がどのように一緒にいてくださったかということをとても大事にしてお話を伝えてきました。それが聖書になっていったと考えても良いでしょう。

 聖書に出てくるイエスの話は、イスラエルの昔の人の話と重なっています。聖木曜日はイエスの弟子たちとの最後の食事を記念する日です。最後の晩餐とも言います。この食事はイスラエルのお祭りの特別な食事です。「過ぎ越し」という昔からのお祭りです。「過ぎ越し」は5年生・6年生は4年生の教えで旧約聖書を勉強したときに出てきたので、知っているでしょう。4年生は今年勉強するので、楽しみにしてください。「過ぎ越し」はどのようなことなのでしょう?

 イスラエルの人たちはとても苦しい状況で生活していた時代がありました。そこから神様と一緒に脱出して、逃げていく長い旅に出発しました。その旅では、神様が敵と戦ってくださったり、助けてくださったりした、とても大切な旅でした。その旅に出発する前の最後の食事を「過ぎ越し」の食事と言っています。神様と出発する覚悟を決め、決心する、出発前の最後の食事です。その食事を忘れないように、お祭りで毎年記念することにしていました。神様がどんな時も一緒にいてくださる、ということを忘れないためです。この「過ぎ越し」の食事のお祭りが今のカレンダーでは木曜日にあたります。それで、聖書に出てくるイエスの最後の出来事を今のカレンダーの曜日にあてはめて記念しているのです。

 いつも神様が一緒にいてくださるということは、イスラエルの人たちにとって忘れてはならない大事なことで、これが「過ぎ越し」のお祭りの意味でした。しかし、いつの間にか、神様についての考え方が変わっていってしまったかもしれません。神様が何かやってくれる、神様がなんとかしてくれる、と考えて、強い、戦う、目立つ神様を人々は期待するようになってしまったかもしれません。

 さて、イエスはどうでしょう。イエスはやさしい心をもっていて、人々と共にいて、悲しんでいる人、苦しんでいる人を励ましたり、助けたりしました。病気の人を癒やすこともありました。しかし、イエスは十字架の上で亡くなってしまいます。イエスは戦わないし、弱い姿をしています。目立たないので、イエスのすばらしさに気づかない人もいます。イエスは人々の期待とは違う神様の姿を見せていました。イエスは人々の弱さや苦しさと共にいて、見えない心の奥にいてくださいます。

 今もイエスは人々の心と共にいてくださいます。ウクライナで戦争が続いていて、世界は苦しんでいます。このような今に、神様は人々の心と共にいてくださいます。そして、何かよい行動を始めることができるように、私たちを励まして支えています。

 ご復活に向けてイエスの姿を思い出しましょう。そして、自分の心にいてくださるイエスをみつけましょう。お祈りしながら過ごしてください。

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