校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

12月15日初等科朝礼 正直な裏表のない心を神様は喜ばれる

2021.12.19

 冬休みが近づき、朝礼も最後となりました。カトリック教会では、毎日のミサに関してその日の聖書の朗読箇所が定まっています。今の季節は待降節にちなんで、心を振り返る内容の箇所が選ばれています。12月14日はマタイによる福音書21章28節から32節でした。それをひいて、子どもたちと共に神様に喜ばれる心について考えました。

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 カトリック教会では、ミサをするときに毎日その日に読まれる聖書の箇所が世界共通で決まっています。14日の聖書箇所は私の大好きなところで、とても心に残るたとえ話でした。あるお父さんに兄と弟の二人の息子がいる話です。イエスが人々にたとえ話をします。

 お父さんが二人の息子に向かって、仕事を一つ頼みました。兄はそれを聞いて、「嫌です」と答えてしまいました。しかし、後から兄は考え直して、お父さんの言った通りにしました。弟は「はい、いたします」と返事をしましたが、実際には何もしませんでした。兄と弟とどちらが良いと思いますか?とイエスは人々に問いかけます。

 この話は少なくとも二つのことを教えてくれます。まず第一に、表と裏があることはとても良くない。弟は「はい」と言っておきながら、言いつけ通りにしませんでした。見えないところにうそがあり、ばれなければ良い、というずるい考え方をしています。

 二つ目には、失敗しても後から気づいてやり直す人を神様は喜ばれる、ということです。兄はお父さんに「嫌です」と言ってしまいます。しかし、後から自分の良くないことに気づきました。初めからうまく行かなくても、心から気づいた人はやり直すことができます。お父さんが何かを「やってください」と言うときには理由があるはずですが、兄はそれを考えてみなかったのでしょう。お父さんは自分たちを信頼して言ってくれているのに、自分からお父さんを信頼することをしませんでした。

 兄と弟、二人ともに悪いところがありました。しかし、比べてみるなら、弟の方がずっと悪いです。弟にはうそやごまかしがあります。残念ながら世の中には、表と裏、ごまかしがあります。表では良い姿をしていても、裏では別のことを考えていて、見えなければ良い、と考えている人がいます。神様は裏表のない、正直な心を大事にされます。正直な心があるところでは、神様も、お互いも信頼することができます。

 このたとえ話を読むと、イエスは人間の弱さを良く知っていると感じます。神様はその弱さを知っていて、失敗してしまっても後から気づいてやり直す人を大事にしてくださる、ということがこの話からわかります。

 人の信頼を裏切るということはとても残念なことです。本当に大事なことを見逃しています。今の社会では、表と裏やうそは、SNS等を使っても起きます。うそのニュースが広まることもあります。イエスは今の世界を見て、インターネットやSNSはとても便利なものだから、賢く、正しく使ってほしいときっと感じているでしょう。

 私たちは正直な心を大切にして、裏表のない人として進んでいきましょう。この話の兄のように、気づく心を大切にしましょう。

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