校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

11月18日サードステージ 聖フィリピン・デュシェーンの祝日

2021.11.19

 サードステージは17日と18日の2日間に分けて、2学年ずつ聖堂で聖フィリピン・デュシェーンの祝日の祈りを行いました。聖堂での祈りは久しぶりの機会となりました。今回は9年と11年、10年と12年という組み合わせでした。ソフィア委員会の生徒たちが朗読と祈りを担当しました。聖ジャン・フランソワ・レジスについてはこれまであまり取り上げてきませんでしたが、聖フィリピンにとり大事な人物です。今回、生徒と共に深く考えてみました。

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 聖フィリピン・デュシェーンの祝日おめでとうございます。

 今年も聖フィリピン・デュシェーンの祝日が巡ってきました。聖フィリピンについて考えてみると、波瀾万丈の、色々なことがあった一生を送ったと改めて感じます。多くの困難を経験し、聖フィリピン本人は自分の失敗や限界を強く感じていたでしょう。その中で祈り続けたということが聖フィリピンを「ほんもの」としていった力です。

 そのような聖フィリピン・デュシェーンには、お手本としていた憧れの聖人がいました。聖ジャン・フランソワ・レジスというイエズス会の司祭で、聖フィリピンより150年くらい前に南仏で生まれ、グルノーブルに近い地方で貧しい人々、恵まれない女性や子どものために活動し、辺鄙なところにも歩いて出かけて働いた人でした。亡くなってから100年ほどたった1737年に聖人とされています。聖フィリピンにとっては地元の聖人と言えるでしょう。聖レジスは明快な言葉を語ることができたようで、多くの人を感化し、素朴な農民にも、教会から離れてしまった人々にも語りかけ、働きかけました。そして、聖レジスはカナダの先住民の宣教に行くことを憧れていましたが、フランスで生涯を終えています。

 聖フィリピン・デュシェーンにとって、この聖レジスは少なくとも二つの点で大きな魅力でした。一つは、聖レジスが取り残された人々、顧みられることのない人々を大切にしたこと。聖フィリピンはフランス革命の間には困難な状況にある人を見舞ったり、町の貧しい子どもたちと関わったりしていました。そして、生涯、弱い立場の人々を大切にしました。それは聖レジスの感化を受けてのことだったのでしょう。そして、もう一つはもちろんアメリカ大陸での先住民に対する宣教活動の夢です。聖フィリピンは自分がアメリカに行くことができるように聖レジスに熱心に取り次ぎを祈りましたし、アメリカ行きが実現したら、夢を果たせずに亡くなった彼の代わりに彼の分も使命を果たそうと考え、聖レジスに対して深い敬意を払っていました。

 聖レジスが大切にした人々は、周辺に追いやられていた人々です。そのような人々に出会いに行くということは、自分の安定を捨てることです。そのような人々のために働くということは、自分の思うような成功を捨てるということでもあったでしょう。

 聖フィリピン・デュシェーンも成功には恵まれない一生を送りました。多くの苦労をして、人のために働き、自分は失敗が多いという意識ももっていました。そのような聖フィリピンをこの聖レジスが支えていました。

 その時、その時に、必要とされていることを実行する。目立たないことがらや、人が避けて通りたいような事柄にも直面していく。そして、うまく行かないときに、たとえ落胆したとしても、そこで立ち止まらない。祈りを通して、神様と共にいることを忘れない。このような強さを、今回の聖フィリピン・デュシェーンの祝日に皆さんと一緒に学びたいと思います。

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