校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

6月17日中高等科朝礼 心が一つになる みこころの祝日の活動

2021.06.19

 6月11日のみこころの祝日の活動は、中高等科それぞれで意味深いものとして行われました。1週間後にふり返り、それぞれの活動を知ってもらえるように試みました。上の写真は、職員室前に掲示してある中等科の活動の成果です。

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 「心が一つになる」と感じるのはどのようなときでしょうか。行事などで皆で協力し、達成したときかもしれません。私には、意見が対立してとても難しい状況の中で率直に話し合い、やっとお互いに理解できて一つの結論に達し、そこにいた皆がほっとした、という体験があります。後から考えて、心が一つになるとはこのようなことかとこの体験を大切にしています。

 11日のみこころの祝日では、中高等科それぞれに良い時間を過ごせたようです。私は2回のミサに続けて出ていましたので、中高それぞれの活動には参加していません。高等科のキッズドアの講演について、3時間目の12年生の宗教の授業のときに、発言してもらったり、感想を書いてもらったりして、クラスの皆さんから教えてもらいました。相対的貧困、教育格差、見えないことで気づかれない、知らないことが人を傷つけることになるなどが挙げられました。日本の現実の大きな課題を皆さんが学んだことがわかりました。私立小に通えるのは同年齢の子どもの1%だけ、このような重い数字も知ることになりました。「こういう現実を知って、私はどうしたらよいのか」と、これらの問題を自分のこととして考えようとしていることも伝わってきました。自分には何ができるのかともどかしい思いをしているところも大きいようですが、この問いがあるということが重要なことです。聴いたことをしっかり考えて、心で受けとめ、心が動かされているということです。その日の教室の雰囲気は、多くの人の心の中に同じ思いが共有されて、心が一つになっていると感じられました。

 中等科のその日の活動の成果は職員室前に掲示してあります。そこに貼られている一つひとつの小さな紙がとても貴重です。皆さんが書いたものを一つ一つ読ませていただきました。それぞれに心がこもっています。クラスの誰かの悩みや困っていることを受け取って、自分がイエスの心となってそれに答えを書きました。色々な悩みが書かれていました。まず、それぞれ悩みを書いたときには、日頃実は困っているけれど、なんとなく誰にも言えなくてずっと抱えていたことを、誰かに聞いてほしい、一緒に考えてほしい、という気持ちだったことでしょうか。そして、紙を受け取ったときは、誰かが自分の紙に一所懸命に答えようとしてくれていると思いながら、きっとそれぞれ自分も一所懸命に書いたことでしょう。掲示を見てみると、皆さんが本当に一所懸命に書いてくれたことが伝わります。このような考え方があるのかと教えてもらったものもあります。良い答え、うまい答えかどうかよりも、まじめに受け取ったというところが意味深いと感じます。頭を使ってしっかり考え、イエスの心に倣って、自分の心も使って答えようとしました。皆さんの心が一つになる活動とすることができました。

 高等科も中等科もそれぞれ、イエスのみこころと一つになる祝日として過ごすことができたと感じます。

 

 

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