校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

2月3日初等科朝礼 高山右近 本当に大事なことを選んだ人 

2021.02.03

 節分に初等科では豆の小袋を配り、例年ならお弁当の時に豆まきのつもりで食べますが、今年は残念ながら家に持ち帰りとなりました。家で豆まきをきっと楽しんだことでしょう。2月3日にカトリック教会では高山右近を記念します。右近はキリシタン大名の一人で、殉教者として、聖人に次ぐ位置にある「福者」とされています。右近について考えました。聖人や福者の祝日は毎年巡ってきますが、毎回新しいことに気づかされます。

 ~~***~~

 節分は季節の変わり目です。節分を過ぎると立春となり、暦の上では春となります。まだ寒いですが、よく見ると校庭のしだれ梅の花が開き始めています。節分には、季節の変わり目にあたって豆まきをして、鬼のように悪いものを追い払います。「鬼は外、福は内」と言いますが、出て行ってほしい鬼とは何なのでしょう?新型コロナウイルスに出ていってほしい、そして、早く安心して色々なことをやりたい、困っていることがたくさんある、と思った人がいるかもしれません。本当にそうかもしれません。

 しかし、心の中には、出ていってほしいもの他にもあるかもしれません。意地悪な気持ち、わがまま、ずるい気持ち、勇気がない弱虫な気持ち、うそや正直でない気持ち、このようなものは出ていってほしいものです。そして、すっきりしたいものです。

 カトリック教会では2月3日に高山右近という人を記念します。高山右近は戦国時代の大名の一人です。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の時代の人です。今で言う中学生くらいのときに、お父さんと一緒に洗礼を受けました。関西の大阪の方に住んでいて、キリスト教に出会ったのです。ユストという洗礼名でした。

 右近の時代は戦の時代でした。安心して落ち着いて生活することができませんでした。争いと戦いの時代で、力で争っています。誰が強いか、誰が力があるか、勝ち負けでものごとが決まります。そのような時代に生きた高山右近はどのような人だったのでしょうか。神様を大切にする人で、茶道の名人だったと言われています。大名の一人ですから、自分の館や土地があり、リーダーとして手下や地元の人々などたくさんの人々の面倒を見る役割があります。貧しい人を誰でも大切にしたので、多くの地元の人もキリスト教を信じるようになりました。しかし、戦の時代です。自分の領地を守らなければなりません。どうやって生きていくか、いつも考えていなければなりません。いくつも大事な場面を経験し、どうしたらよいか決めなければなりませんでした。

 ものごとの決め方には色々あります。勝ち負けで決める。強い方が勝ち、とすると、ずるくても勝てる方を選ぶことが得で安全ということになります。しかし、右近はそのようにはしませんでした。本当に正しいこと、大事なことを選ぼうとしました。自分のためだけでなく、神様を選ぼうとしました。そのために右近は色々なものを失ってしまいました。なぜなら、キリスト教を信じることが禁止されてしまったからです。それでも右近は神様を選び続けました。右近は最後には、日本から追放されて、フィリピンで亡くなりました。

 右近の心には、悪いものはなかったでしょう。右近の心は良いものを選ぶ心でした。右近が悪いものをを追い払うために豆まきをしたかどうかはわかりません。でも、私たちももう一度ふり返って、豆まきのときのように、私たちの心から悪いものを追い出して、右近の心に近づけるようになりたいものです。

 

このページのトップへ
このページのトップへ