校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

12月9日初等科放送朝礼 12月8日はマリア様にも日本の歴史にも重要な日

2020.12.12

 フィリピンのルソン島は先ごろ台風によって洪水被害を受けました。新聞にも一部報道されましたが、マニラ近郊のモンタルバンにある聖心会の幼稚園とその周辺も深刻な浸水被害に遭いました。初等科と中高等科と協力して救援物資を集め、聖心関係一括の発送に加えていただきました。12月8日はカトリック教会ではマリアの無原罪という大きな祝日ですが、同時に日本の歴史にも重要な日です。フィリピンを手がかりに子どもたちと考えました。

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 11月30日の月曜日にはハイチデーを行って、台風の被害を受けたフィリピンへの支援物資も集めました。おもちゃや衣類がたくさん集まり、中高等科生の持ってきてくれたものと合わせて発送しました。皆さん協力してくださり、ありがとうございました。物資が届いたら、きっととても喜ばれるでしょう。この物資は聖心会がモンタルバンで運営している幼稚園に関わる人々のところに行くことになっています。モンタルバンでは台風の被害がとても大きく、送られてきた写真を見てとても驚きました。モンタルバンに行ったときのことを思い出してみると、確かに近くに大きな川が流れていました。

 もうずいぶん前のことになりますが、フィリピンで3ヶ月ほど生活したことがあります。フィリピンの人々はとてもフレンドリーで、集まって楽しむことが好きで、にぎやかな雰囲気を感じました。フィリピンは災害が多かったり、仕事がなくて人々が貧しかったり問題も多い国です。しかし、たくましい人たちが生き生きと生活していたという印象があります。

 フィリピンで出会った人のことを思い出しました。色々な人に会ってみたいと思って、農家に泊めてもらう体験をさせていただきました。カトリック教会で農村の人たちのために働いている女の人たち二人と一緒に、マニラの近くの農家に二泊させていただきました。ほんものの農家で、水道も電気もありませんでした。水は井戸から汲んできて、大きなかめにためておき、その水を家の人たちは飲んでいました。しかし、私だけは「これを飲みなさい」と、特別に沸かして冷ました水をボトルに作ってくれて、それを飲みました。みんなと同じ水を飲んだら、お腹を壊してしまったかもしれません。

 家のまわりは田んぼで、夜になると電気がないので真っ暗になり、ものすごいにぎやかなカエルの鳴き声が聞こえました。その家では、お父さん、お母さん、息子たちと娘が協力して田んぼで米を作ったり、畑で野菜を育てたりしていました。その家族みんなと大きな部屋で寝ました。お父さん、お母さんといっても、年齢はよくわからず、おじいさん、おばあさんのようにも見えました。言葉はよくわかりませんでしたが、とても親切にしてくれました。日本人はめずらしかったのでしょう、大切にしてくれました。

 あるとき、お父さんが「日本語を知っているよ」と言い始めました。若いときに日本人から教えてもらったのだそうです。それは「こら!」という言葉でした。お父さんはおもしろそうに、楽しそうに教えてくれたのですが、私はその言葉を聞いて、心の中でとてもびっくりしてしまいました。なぜ、お父さんは「こら!」などと言う言葉を知っているのか。いつ、なぜ、そのような言葉を日本人から言われたのか。もしかしたら、ずっと若いときに誰か恐ろしい日本人に出会ったことがあったのかもしれない。お父さんの年はわかりませんが、ずっとずっと小さいときに何があったのだろうか。

 日本とフィリピンの間にはずっと以前にとても悲しいできごとがありました。75年前に終わった戦争のとき、日本はフィリピンとも戦争をしました。今でも年とった人はそのときの苦しい、恐ろしい体験を覚えています。そのお父さんもそうだったのかもしれません。とても悲しくなりました。戦争はあってはいけないことです。平和が大事です。色々な国の人と仲良く生活したいと思います。だから、今回フィリピンで台風被害に遭った方たちを助ける活動ができたのはとてもよいことです。

 毎日、色々な記念日にあたっています。12月9日は地球感謝の日です。そして、12月8日はカトリック教会では無原罪の聖母の祝日で、ゆりの行列の本当のお祝いの日でした。そして、12月8日は75年前に終わった戦争の始まった日でした。真珠湾攻撃の日でした。1941年のことです。12月8日は日本の歴史にそのような重要な日であることも考えながら、平和のために祈りたいと思います。

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