校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

10月5日 中・高等科後期始業式

2020.10.05

 後期が始まりました。教室からは生徒の元気な声が聞こえてきます。オンラインによる動画配信で、これからの日々に向けて励ましました。

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 10月になり、空気にも秋らしさが感じられるようになりました。校庭では色づいている木の葉も見つけられるようになりました。後期が始まります。新型コロナウイルスのために特別な年となっている今年度、皆さんには後期も、あるいは後期こそ充実して過ごしてほしいと願っています。新たな気持ちで取り組みましょう。

 前期と後期の間は短い期間でしたが、皆さんはこの機会に、春からの経験ついてふり返り、忘れたくないことについて考えてみましたか?前期終業式で話したことを実行してみましたか?どんなことに気づいたでしょうか。忘れたくない大事なことは何でしたか?家族との会話を忘れたくないこととして思い出した人がいるかもしれません。自分の部屋の窓から見た風景という人もいるかもしれません。本との出会いや、何か大きなことに気づいた一瞬があったという人もいるかもしれません。やりたいことがはっきり見えた人、逆に今まで考えてきたことが崩れてしまい、わからなくなってしまったという人もいるかもしれません。それぞれに大事なことです。これまで当たり前と思っていた生活が一時ストップして初めて感じられたことです。今、心にあることがこれから皆さんの中でどのように変化し、育っていくでしょうか。これから後期の忙しい生活、新しいことを次々と学ぶ生活が始まりますが、その中でも忘れたくないことはしっかりつかんでおいてください。

 自分で感じたことを大事にするために、今回朗読された聖書箇所をもう一度味わってみたいと思います。ルカによる福音書1章46節から35節にある「マリアの賛歌」が読まれました。この箇所は、マリアが天使のお告げを受けてイエスの母となることを受け入れてから、親戚のエリザベトの家を訪問し、マリアとエリザベトが出会った場面にあたります。有名な場面です。皆さんも思い出せるでしょう。エリザベトは子どもに恵まれなかった女性ですが、神さまの恵みを受けて子どもを授かっています。マリアとエリザベトの二人が出会ったとき、エリザベトはマリアの受けた恵みにすぐ気づいて、マリアに向かって「あなたは女の中で祝福された方です!」と言って喜びます。この言葉が「アヴェ・マリアの祈り」となって、私たちに受け継がれています。

 「マリアの賛歌」はとても美しい言葉から成る祈りです。賛歌と言うのは神さまを賛美する歌の形の祈りで、一篇の詩と言っても良いかもしれません。救い主の母となるという大きな恵みと使命をいただいて、それをエリザベトに喜んでもらってマリアも大変感動し、喜んでこの言葉を語っています。神さまを救い主として称え、貧しい田舎に住むほんの少女である自分に大きな恵みを与えてくださったことをまず感謝しています。いただいた恵みの大きさに驚きながら、とても謙虚に感謝しています。歴史の中での大きな出来事だという意識もあります。大事なことは、神さまが大きな力を持つ方であることと感じていることです。世の中には権力者がいたり、お金持ちがいたり、弱い人が苦しむ厳しい現実があります。その中に神さまが力ある存在としていてくださる、とマリアは宣言しています。マリアの祈りはとても現実的です。不平等や格差がある現実が神さまによって皆平等に、平らにならされると祈ります。神さまの力はこの世の現実を変えていく力と見なされています。そして、自分がいただいた恵みが自分だけのものではなく、多くの人のためのものであるとも考えています。マリアは政治的に力があるわけではありません。しかし、自分が心に感じたことを大事にして伝えることで、人々の心に力や希望を呼び起こしています。

 このマリアの祈りの言葉はとても整っています。美しく、深い意味をもった祈りです。おそらく実際には、この祈りは若いマリア自身によってその場で語られた言葉によるものではないでしょう。このマリアの賛歌は旧約聖書の伝統の中にあります。旧約聖書には、なかなか子どもに恵まれず、神さまに願い、祈り続けて子どもを授かる恵みを受けるという女性が何人かいます。サムエルという預言者の母ハンナはなかなか子どもに恵ませんでしたが、祈りを捧げ続けてついに神さまの恵みを受けた時、感謝の祈りを捧げます。その祈りがマリアの賛歌につながっていきます。旧約聖書のサムエル記の最初に出てくる祈りです。「主にあって私の心は喜び」と始まり、「主は貧しくし、また富ませ/低くし、また高めてくださる。/弱い者を塵の中から立ち上がらせ/貧しい者を芥の中から高く上げ/高貴なものと共に座に着かせ/栄光の座を嗣業としてお与えになる」と続きます(サムエル記上2章1節、7節~8節)。マリアの賛歌への響きが聞き取れます。マリアはこの祈りを知っていて、自分の祈りをこのハンナの祈りに重ねたのかもしれません。

 考えてみましょう。マリアは皆さんと同じ年ごろの少女でした。まだ、何がどうなっていくか、神さまに対する信仰はしっかりしていても、未知のことばかりです。エリザベトと出会って、とっさにすぐ整った言葉で祈りを唱えるということは、実際には考えづらいことです。マリアはエリザベトに会って、祝ってもらってとてもうれしかった。神さまに深く感謝した。それを忘れたくない。そして、この時のことが生涯にわたって、決して忘れたくない大事なことになっていったのでしょう。マリアはこの出会いの時の思いを大事に心にとめて、育てていったのだと思います。それがイスラエルの伝統の中で、だんだんと少しずつしっかりした言葉になっていったのでしょう。マリア自身の言葉だけではないかもしれません。しかし、大事なことは、使われている言葉自体ではなく、マリアがエリザベトに出会って、二人が神様の恵みを喜び合ったという出来事です。それを忘れたくないこと、忘れてはいけないこと、忘れられないこととして、心にずっととどめていたということなのだと思います。

 神さまは人間一人ひとりを大切にしてくださいます。マリアが若い時に感じたことが本当に重要なことだったように、皆さんがこの春に感じたことを忘れずに心にとめておいてください。それが今は小さなことに感じられ、あまりまとまった言葉になっていないかもしれません。しかし、心に深く感じたことの中には神さまの働きがあります。それを大事にしてください。マリア様に目をとめてくださった神さまは皆さんのことも同じように大切にしてくださいます。ですから、忘れたくないと感じている大事なことを大切に心にとどめましょう。意味を考えたり、深めたりして大事にしてください。そこから何か導きだされるもの、育っていくものがきっとあります。そこに希望がきっとみつかります。

 今年度の目標「Being artisans of hope. 希望の作り手になる」を心がけて進みましょう。希望の作り手は、誰かのために、誰かと共に希望を作ります。自分のためにだけではありません。マリアがそうでした。「マリアの賛歌」はまだ実現していないことを感謝して祈っています。実現すると確信して感謝しています。それが大きな希望になり、進むべき道を示しています。皆さんももし苦しいことや大変なことに出遭ったら、このマリアの賛歌を思い出して祈ってください。どんな状況もクリエイティブに乗り越えて、希望をみつけましょう。

 私たちも神さまの恵みを信じて進んでいきたいと思います。誰のために、誰と共に、どのような希望を作ることができるでしょうか。

 皆さんにとって学ぶということ、学習するということは希望をかなえていくための大きな手立てです。後期もしっかり学んでください。通知表をいただくときに自分の現実をしっかり受け止めてください。その時にも心に感じることがきっとあるでしょう。それを大事なこととして忘れずに、次の行動に向かう原動力としてください。

 後期には大きな行事もあります。これからまず、みこころ祭があります。オンラインという新しい形の今年のみこころ祭をとても楽しみにしています。感ずべき御母やフィリピン・デュシェーンの祝日、百合の行列などの宗教行事もあります。クリスマスウィッシングもあります。どれも例年と同じようにはできないかもしれませんが、一つひとつの意味を大切にして、工夫していきたいと思います。

 今回ヨーロッパの聖心姉妹校ネットワークから招待があり、感ずべき御母の祝日の祈りの分かち合いに参加します。新型コロナウイルスに全世界で遭遇している今、世界の聖心姉妹校で祈りをメールで送り合うという企画です。生徒会から呼びかけと説明があります。世界の聖心の仲間がどのような祈りを送ってきてくれるのか楽しみにしたいと思います。国によって、状況は大きく異なり、感じていることもとても違っているかもしれません。世界の聖心姉妹校の一員として、私たちも心を込めて祈りましょう。

 後期の学校生活が心に残るものとなるよう、皆で協力して進みましょう。これからも感染防止対策に慎重に心がけて、一日、一日健康に学校生活を過ごせることを感謝しながら過ごしましょう。

「マリアの賛歌」  ルカによる福音書 1章46節~55節

 そこでマリアは言った。

 「わたしの魂は主をあがめ、

 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

 身分の低い、この主のはしためにも 

  目を留めてくださったからです。

 今から後、いつの世の人も

  わたしを幸いな者と言うでしょう。

 力ある方が、

  わたしに偉大なことをなさいましたから。

 その御名は尊く、

 その憐れみは代々に限りなく、

 主を畏れる者に及びます。

 主はその腕で力を振るい、

 思い上がる者を打ち散らし、 

 権力ある者をその座から引き降ろし、

 身分の低い者を高く上げ、

 飢えた人を良い物で満たし、

 富める者を空腹のまま追い返されます。

 その僕イスラエルを受け入れて、

 憐れみをお忘れになりません、

 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、

 アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」   「聖書」新共同訳  日本聖書協会

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