校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

9月28日 中高等科後期始業式

2018.09.29

始業式を行い、新たな気持ちをもって後期を始めました。

**生徒への話**

後期の学校生活を聖フィリピン・デュシェーンの勇気と希望に倣って始めましょう。前期の終わりから1週間しか経っていませんが、毎日を一生懸命に、新たな気持ちで始めましょう。後期にも新しいことを体験し、新しい出会いを重ねることでしょう。楽しいこと、思いがけないこと、辛いことや悲しいこともあるかもしれませんが、いつも神さまが見守ってくださいます。聖フィリピン・デュシェーンはいつもこのことを祈りの中で確かめていました。

後期にも新しい学びの世界が広がります。専門学校メモリアル校舎での授業や活動が始まります。みこころ祭もすぐです。この秋に海外から訪問してくださる方々があります。今年もアイルランドのダブリンの聖心から3人の生徒が短期留学してきます。どのような生徒か楽しみです。イタリアのローマにある聖心会本部から、昨年秋には総長シスターDawsonが訪問されましたが、今年は総長顧問の方々が10月17日に全校朝礼においでになります。また、アジアの聖心会のシスター方がみこころ祭においでになります。そして、11月5日と6日にはカナダのトロントから訪問があります。3月にKAKEHASHIプロジェクトのグループが訪問させていただいたBishop Strachan Schoolの方々が来ます。新しい交流の始まりです。Bishop Strachan Schoolは伝統ある女子校です。どのような方たちでしょうか。楽しみです。

11月にはいよいよ聖フィリピン・デュシェーンの祝日があります。14日に今年はセカンドステージだけでなく、サードステージでも講演会を行い、初中高全校のお祈りも行います。特別の日になればと思います。講演はアメリカ先住民について行います。聖フィリピン・デュシェーンが生涯、共に生きることを大切にした先住民とはどのような歴史・文化をもつ人々なのでしょうか。皆さんと共に学びたいと思います。また、11月18日には聖心会が修道会としてミサと記念行事を行います。代表の方に参加していただきます。

アメリカ先住民とは、忘れられた、追いやられた人々であることを私たちは知っています。「中心・センター」でなく、離れたところ、遠いところに住む人々です。周辺や辺境を「フロンティア」という言葉で表すこともできますが、フロンティアというと「冒険」がありそうな土地とも感じられます。しかし、フロンティアは、実際には辺鄙で不便、行きづらく、楽しいところではなく、人があまり行かない見捨てられたところのことでしょう。しかし、そこに行けば知らないことに出会う、そのような地であり、聖フィリピンにとっては先住民に出会う地でした。私たちの日常生活ではどうでしょうか。考えてみましょう。

女優の樹木希林さんが亡くなり、話題になりました。個性的な女優として数多くの作品に出演され、人々の心に残っています。数年前に「あん」という作品がありました。お菓子のどら焼きに入っている「あん」のことです。町の小さなどら焼き屋のストーリーでした。あんを作ることがとても上手な女性、おばあさんが登場します。樹木希林さんが演じました。その女性が来てから、あんがとてもおいしいと評判になり、店は大変な人気となりますが、ある時から変なうわさがたって、店に来る人がいなくなってしまいます。そのうわさとは、その女性には手に障害があって、それは病気の後遺症で怖いというものでした。この病気はハンセン病です。この映画のテーマはハンセン病に対する人々の心にある差別の現実です。

聖書の中に「重い皮膚病の人」が登場します。人々に恐れられ、疎外された人々です。イエスはその人々を大切にし、病を癒やします。イエスは恐れるのでなく、共に生きようとします。癒やすとは、いのちを分かち合うことでもあるでしょう。重い皮膚病の人も神に愛されている、神の子どもであることを示しています。

「あん」の映画から日本の社会にはハンセン病の人々に厳しい歴史と現実があることがわかります。かつてハンセン病に治療法がなかった時代には深刻な病気でした。今は薬が開発されて治癒する病気ですが、人の心には今も差別があります。皆さんにも映画「あん」をぜひ見てほしいと思います。

「あん」のロケ地は東京にあるハンセン病療養施設、多磨全生園(ぜんしょうえん)でした。機会があってそこを訪れることができました。そこには元患者の方々の住居と国立ハンセン病資料館があります。西武池袋線の秋津駅から20分ほど歩いていきます。以前は畑であったと思われるところをどんどん歩いて、細い川をわたった、森の向こうにありました。広いところで、グランドやテニスコートがあり、近隣の方がスポーツを楽しんでいました。木造の平屋住宅がならんでいました。かつては1200名も住んでいたこともあるということですが、現在では回復して退所された方が多く、高齢の方々が住んでおられるようです。資料館を見学し、ハンセン病体験者の講話を伺うことができました。

お話ししてくださったのは、80代の元気な女性でした。14歳、中2のときに発病し、家族を離れて全生園に来たそうです。ハンセン病の患者は、1940年代の後半に薬による治療が始まるまで治らない病気として隔離され、一生療養所で生活しなければなりませんでした。治療法が確立され、1953年に法律が変わってからもなお1996年まで古い法律の下にあるという厳しい現実がありました。この方は治療を受けることができ、高校に行くことができ、卒業後に仕事に就かれて、社会復帰され、友だちもでき、結婚もされて、楽しいこともあり、一生懸命に生きられた方と感じました。しかし、話の途中で「私たちは失われた人たちです」とおっしゃり、それを聞いて驚いてしまいました。この方の伝えたいことは何だろうか、背負っておられる苦しみの歴史はどのようなことなのか、深い現実が突然に現れたように感じました。普通の人に当然なことが奪われてしまった、家族との関わりが奪われた、たとえ治っても「元患者」と言われ続ける・・・。今生き生きしていらっしゃる姿の奥に厳しい現実がある。このように生き生きしていらっしゃるその力はどこからみつけていらっしゃるのか、と考えてしまいました。そして、「資料館を見て、簡単にわかったと思わないでください」とも言われました。資料館にはよく工夫された展示があり、ハンセン病についてわかりやすく学ぶことができます。しかし、言葉では表せないもの、そこで生きていた人々のことを想像してほしい、わかったと簡単に片付けないで考え続けてほしい、と言われました。重い問いかけで、大きな宿題をもらったように感じ、それを皆さんにもこのように伝えて、分かちあっています。

この方は辺境に生きる人の一人かもしれないと感じました。辺境に行くと、新しい現実を知ることになります。辺境に生きる現実はきれいごとではすまされません。聖フィリピン・デュシェーンの経験は、それまで知らなかった新しいことを知ることで、重い、厳しい現実との出会いでしたが、それが「生きる」ことであり、ほんものをみつけるということでもあるでしょう。

ハンセン病療養所は日本に14箇所あります。そのうち1つが私立です。それは静岡県御殿場市にあるカトリックの施設、神山(こうやま)復生病院で、不二聖心の近くです。私たちの大先輩たちはこの施設を訪問したり、品物を送ったりして支援していました。先輩方は聖フィリピン・デュシェーンの心を受け継ぎ、実践していたということになります。私たちも受け継ぎたいものです。

後期の学校生活で、一人一人新しい領域に踏み込んでいきましょう。自分の中で今まで手をつけていなかったこと、遠ざけていたことにチャレンジしましょう。そこで、今まで知らなかった自分と出会ってください。

今回の聖書朗読はヨハネによる福音書12章23~26節でした。聖フィリピン・デュシェーンの祝日にミサをする場合にはこの箇所が朗読されます。一粒の麦を蒔く話です。「死ねば多くの実を結ぶ」、「死ななければ」そのまま、自分のいのち「愛する」者は「失う」、自分のいのちを「憎む」者は「保つ」、イエスに「仕えよう」とする者は「従え」、と厳しい言葉が続きます。それらは「自分を捨てる」ということをさしています。思い通りにならないことに直面するということです。憎むとは、「こだわりを捨てる」ということでしょう。神は自分より大きな存在です。従うとは、「神さまに任せてごらんなさい」ということでしょう。

種を蒔くと、種は変化し、芽を出して成長します。そのままの形ではいられません。種としては「死」に、新たないのちに変わっていきます。「いのちを活かす」ということは、とことん生きるということです。こだわりを捨てて、今ここにあるものを一生懸命に生きることです。自分にこだわって、守ってそのまま変えないでいると、活かされることなく、かえって失われてしまいます。自分を捨てる、こだわりを捨てるということは、神さまと一緒に生き、変えられていくことです。そこに今まで知らなかった自分の開花があります。眠っていたものが活かされていくということは、先が見えず、辛いこともあるかもしれません。しかし、そのような発見や成長を求めて、いま目の前にあるものに一生懸命に取り組んでほしいと思います。そのような後期の日々としてください。

まずはみこころ祭に向けて一生懸命に。期待しています。

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