校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

5月15日中高等科朝礼 ほんものが伝わる人:カテリ・テカクウィタ

2024.05.15

 今回の朝礼では、17世紀後半のアメリカ先住民の女性の聖人カテリ・テカクウィタを取り上げました(1656年ー1680年)。すてきな人とはどのような人かという視点で考えてみました。ちょうど朝の祈りで生徒たちが選んだ聖書の箇所がルカによる福音書5章13節からの「地の塩、世の光」という、カテリにふさわしいところでした。

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 これまでに出会った人で、この人なんだかすてき、他の人と違う、いきいきして、人とまっすぐ関わっている、どういう人なのかな。このような思いを感じる人に出会ったことはありませんか。こんな人でありたい、という思いも抱きます。そこで、カナダの一人の聖人を紹介します。カテリ・テカクウィタという17世紀後半の人です。

 私が不二聖心で仕事をしていた頃、校長室の外に小さなテーブルがあって、そこにはアメリカ先住民の少女の姿をした小さな人形が飾られていました。かわいいものでしたが、誰が置いたかわからない、何者かわからないもので、ただ門番のように校長室の入り口に立っていました。像の下を見ると、カテリという名前がありました。その後、巡り巡ってカテリのことを深く知ることになりました。カテリの祝日が私の誕生日と同じ日だったと知って驚き、ご縁を感じています。

 カテリは現在のアメリカニューヨーク州で、先住民モホーク族の娘として生まれました。母はキリスト教の洗礼を受けた人で、母からキリスト教を学びましたが、父はキリスト教徒ではなく、父からは疎まれていました。4歳のときに、部族で天然痘が流行り、父母と弟が亡くなってしまい、叔母に引き取られて育ちました。顔には病気の傷跡が残り、視力にも障害があったと言われています。

 11歳の時にはキリスト教の宣教師に出会っています。そして、17歳になると、部族の週間で結婚することが決められてしまいますが、納得がいかないとして断ってしまいますた。他のみんながそうするとしても、自分は自分らしい生き方がしたい、神様に従って生きたいという気持ちだったのでしょう。

 20歳のときに洗礼を受け、カテリ=カタリナという洗礼名を授かります。しかし、このために部族内で迫害を受けることになり、部族を離れ、カナダのモントリオールの近くにあるイエズス会の祈りの家に行くことになりました。そこではキリスト教徒になった先住民、色濃い族やモホーク族の人々が生活しており、カテリもそこで共に住むことになりました。カテリはまわりの人を支え、質素な生活をして、神様と人に仕えましたが、その姿はすばらしいものとして、人々の目に留まりました。

 イエスに従うということは、本当に大事なこと、人が逃げたいうようなことを大事にすることです。教皇フランシスコはカテリについて、イエスに従うには忍耐と信頼と希望が大切だと言っています。そして、特に忍耐が大切で、困難や面倒な人にも忍耐強く接することが大切ですが、イエスに心を開くならば、困難は乗り越えられることをカテリから学ぶことができるとしています。

 カテリは目立って特別なことをした人ではありません。しかし、カテリに接した人には何か特別なもの、すてきなもの、ほんものが伝わったのだと思います。「地の塩、世の光」の聖書の言葉にあったように、誰でもがその人ならではの特別なものを神様からいただいています。カテリがそうであったように、皆さんもそれが周りの人に伝わる人になってほしいと願っています。

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