校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

3月15日 中等科卒業式・終了式 モモは本当のことを聴く力をもつ

2024.03.18

 15日には中等科卒業式と合わせて終了式を行いました。7・8年生の生徒全員の参列は4年ぶりのことです。今回は若松英輔の日経新聞掲載の記事「言葉のちから」(2月10日)にインスピレーションを得て、ミヒャエル・エンデの「モモ」を取り上げました。

 ~~***~~

 9年生の皆さん、中等科卒業おめでとうございます。

 今日の陽射しには春の明るさが感じられます。校庭の白い木蓮や早咲きの桜も春の訪れを告げています。皆さんにも新しい季節が訪れています。

 中等科の卒業は義務教育の終了です。日本での必須の教育を終えることになります。これまで培ってきた基礎的な力を活かして、先へと進んでいく段階へと向かいます。  

 皆さんの中等科の3年間はコロナ禍による制限下で始まりました。世界全体と共に模索する中で、制限を超えて、これまでにない新しい形のものを生み出す経験もしてきました。中等科での行事の取り組みは、皆さんにとっては毎回新しいものと感じられたでしょう。この卒業式には7年生・8年生も共に参加していますが、この形式は4年ぶりのものです。昨年の5月に制限が緩和され、9年生としての1年間では、再び色々なことにチャレンジすることもでき、経験の幅が広がったことでしょう。特に、中等科の最高学年として、サードステージの一員として、やりがいのある場面も多くあったのではないでしょうか。そうであったらうれしいことです。

 その一方で、人間関係作りでは難しい場面に直面したこともあったかもしれません。思いがけないすれ違いや誤解もあったかもしれないし、思いやりが足りなかった場合もあったかもしれません。誰かを傷つけてしまった、自分が悲しい思いをしたという経験もあったかもしれません。それを乗り越えて今、皆さんがここにいることに感謝したいと思います。あるいは、まだ解決していないものを抱えている人もあるのかもしれません。そうだとしたら、新しい局面へと乗り越えていく勇気を皆さんのために祈ります。

 今年度は学校目標を「私から私たちへ」とし、特に対話を取り上げました。対話は問いかけ、話し、聞く、これらのことから成り立ちます。対話は相手との関わりを築くものです。相手の言葉に耳を傾け、じっくり向き合うことです。自分の思い込みや枠組にとらわれず、まっすぐに相手の言葉を受け取ることです。これはなかなか難しいことです。まず、聞く力が試されます。そして、しっかり聞いていると、必ず、問いは生まれてくるものです。

 皆さんは9年生を終了すると、聖心の教育の12年間の中では4分の3の終了となり、5年生からでは8分の5の終了となります。これまで時間をどのように使ってきましたか?3年前、初等科を卒業し、中等科生になるという時のことを思い返してみてください。中等科になると部活や勉強できっと忙しくなる、時間の使い方の工夫が必要になる、と考えていたのではないでしょうか。少なくとも今年の6年生たちは、そのような思いで始めた中等科生活で、皆さんは上手な時間の使い方をしてくることができたでしょうか。忙しさに振り回されず、充実した中等科生活を過ごせましたか?

 「モモ」という子どものための本があります。読んだことのある方も多いと思います。モモという名前の不思議な少女が主人公の物語です。今回、「モモ」を薦める文章に出遭い、読み直す機会をもちました。意味深い物語だと改めて感じましたので、皆さんと一緒に考えてみることにします。

 「モモ」の物語では、モモたちが暮らしている町に「時間泥棒」という不思議な男たちがやってきて、人々を忙しさへと駆り立てます。忙しいほどに仕事に励めば豊かな生活ができるという謳い文句に踊らされて、人々はゆとりの時間を失ってしまいますが、大事なものが奪われたことにも気づかないほど夢中です。その中でモモはただ一人、自分を見失うことがありませんでした。そもそもモモは不思議な子どもで、子どもなのにたった一人で暮らしていて、何も物を持たず、着ているものもみすぼらしいものですが、自由な時間があって、友だちがたくさんいました。モモは耳を傾けて色々なものの音を聞き、人の話を聞きます。人間だけでなく、動物や虫や植物にも耳を傾けていると、あらゆるものがそれぞれの言葉で語りかけてくるのをモモは聴き取っているのでした。モモに話を聞いてもらった人は、その人の言葉をモモがしっかり聞いてくれるので、自分を発見することができるようでした。モモに話を聞いてもらうことで誰とも違う自分自身を発見し、自分に自信が湧いてくるのでした。子どもたちはモモと一緒にいると、なぜか楽しく遊べるということもありました。

 この物語を読んで、モモの話の聞き方は他の人とどこか違うのか考えさせられました。モモは何か気の利いた質問を問いかけてはいません。ましてや、モモが人に何かアドバイスを与えているのでもありません。ただ、モモが聞いていると、人は正直にならざるを得ないようでした。心の中にある本当のことを語りだします。意地を張っていて言えなかったこと、自信がなくて言えなかったこと、隠しておこうと思ったことでも語りだします。つまり、モモは人が語る言葉のなかに本当のことを聞こうとし、真実は何かと聞こうとしていたと言えるかもしれません。それだから、モモは余計なものを一切もっていなかったのかもしれません。

 私たちは時間を何のために使っているでしょうか。モモの物語では、時間泥棒たちは見かけ上すてきなたくさんの物、お金、有名になること、利益や効率を得ることが大事なことだと人々に思い込ませます。人がそれらに夢中になればなるほど、友だちや子どもたちと過ごす時間を見失ってしまいます。人々は何かを得ることが大事なことと考えて、時間を目に見えるもので計ろうとしてしまうかのようです。しかし、モモは目に見えないものに心を向け、耳を傾けていたのかもしれません。

 「モモ」を薦める文章に出遭ったと言いましたが、その文章はこの春に新しい環境に出ていく人に「モモ」を薦めていました。それは、新しい場所でどうやってモモのような人を探すかではなく、誰でも自分の中にモモを宿していて、人は必ず誰かのモモになることができることを忘れないためとしています。私はこの文章に惹かれて、皆さんと一緒にモモについて考えてみました。

 私たちの学校は自然に恵まれています。この学校には私たち人間の時間もあり、緑の木々の時間もあり、鳥たちの時間も、小さな虫の時間も、土の地面の時間もあります。その中で、時間を上手に使って過ごすことについてもう一度考えてみると、どうでしょうか。人間の時間、世の中の時間の計り方だけでない、大きないのちの時間の計り方があることにも気づかされます。中等科生活をふり返って、皆さんの充実とはどのような経験の中にあったでしょうか。中学生という一つの段階を終えて、次のより大人へと向かう一歩を進める皆さんが、ご自分の中にご自分の「モモ」見つけてくださるように願っています。モモと共に対話し、モモのように真実を聴き取る人になってください。

 そして、今回の聖書朗読の言葉が皆さんを支え、導いてくれます。求める時、神様は必ず応えてくださいます。神様は皆さんが求めることを待っていてくださいます。遠慮せず、大胆に求めてください。

 これから春休みになります。春休みは恵まれた季節です。これから始まる新しいこと、まだ知らない次のことを楽しみに待つ時です。今日までの学年末のふり返りを大切に、4月に向けて心構えを新たにしてください。今学年で学んだことをこれからに活かせるように、また、今学年で学び切ることができなかったことを補うことができるように心を整えましょう。

 1月に理事長のシスター宇野がいらしたときにおっしゃっていたことも改めて心に留めておきましょう。常に学ぶこと、問いかけること、自分のことだけでなく、世界で起こっていることにも目を向け、そこに見える対立や苦しみに慣れてしまうことがないように、そして、「私たち」として何ができるかと行動していくこと、聖心のオープンハートに世界の人々を入れて共に歩んでいかれるように心がけましょう。

 4月に新たな期待と希望をもって、再び集まることを楽しみにいたしましょう。

このページのトップへ
このページのトップへ