校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

10月4日 中高等科後期始業式 「私」から「私たちへ」    教皇フランシスコの"Fratelli Tutti"に導かれて

2021.10.04

 中高等科は後期を迎えました。みこころ祭も実施ができそうな状況となり、喜ばしいことです。後期も教皇フランシスコの言葉に導かれて、「私」から「私たちへ」を目指して進みます。

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 秋らしい朝を迎えました。すがすがしく新しい気持ちで後期を始めましょう。緊急事態宣言も明けました。みこころ祭も実施できそうです。みこころ祭は2年続けて思いがけない形となりました。今回も保護者の方しかお招きできませんが、それでもみこころ祭ができることはとてもうれしいことです。2日の土曜日にも色々な部活動の方が練習に励んでいる姿を見て、とてもうれしく思いました。まずはみこころ祭に向けて、皆の力を集めましょう。

 とはいえ、感染症はまだ収束したわけではありません。お互いの健康を守ることができるよう、慎重に生活したいと思います。気を緩めないように、9月までと同じ緊張感をもって、決められたことはきちんと守り、いま活動できることに感謝しながら進みましょう。

  今日は10月4日、毎日のように「今日は○〇の日」と色々な日が定められています。来週の月曜日10月11日はThe International Day of Girlsです。皆さんのための日です。女子校として大事な日です。女子として生きる意味、ジェンダーについて考える日になればよいと思います。色々なところでジェンダーという言葉が聞かれるようになりました。皆さんも聞いたことがあるでしょうし、意識して考えている方もいるでしょう。ジェンダーというのは、社会の中で受け継がれてきている女性、男性の在り方や役割についての考えかたです。生まれ持っている男女の性別ではなく、世の中が持っている女の子らしさ、男の子らしさの枠組みともいえるかもしれません。その中で、男子と女子に期待されているものが異なるだけでなく、どちらかだけが優遇されていたり、大事にされていたり、その人らしさを超えて、女子だから、男子だからと〇〇といった決めつけになっている、という現実も残念ながらあるでしょう。社会の中で気づかないうちに、そういうものだと思い込んでいたり、流されていたり、ということもあるかもしれません。

 世界の中で女子が置かれている立場は様々で、女子であるだけで非常に不利な状況になってしまう国も残念ながらあります。日本でも男女の格差がみられる領域もあります。私が望ましいと思うのは、男子だから、女子だからという枠組みなしに、その人らしく生きられる状況です。たとえば、この学校では、みこころ祭の準備の時に大きなものを製作したり、重いものを運んだりする活動があれば、誰の仕事という枠組みなしに、皆が平等に自分のできることで参加しています。これは、女子校で、全員女子だから自然に実行していることで、このような枠組みなしの経験をすることは、意味があることです。様々な活動を経験することを通して、自分が得意なこと、やってみたいことがみつかるチャンスに出遭います。

 今、世界では、アフガニスタンのような国では女子が教育を受けることが難しいのではなかいと心配されています。また、貧しい国では、女の子が家の手伝いをすることになり、あるいは皆さん位の年齢でも結婚して家庭をもち、子どもをもつことになり、教育の機会を失ってしまうということもあります。日本にいる私たちは、今自分たちができることを一生懸命にしながら、世界で色々な状況にある女子の仲間がいることを忘れてはなりません。そして、日本の中にもある女子に対する枠組みにも気づき、自分らしく生きていくことを目指していきたましょう。聖マグダレナ・ソフィアは聖心の学校で一人ひとりがその人らしく、社会の中ではしっかりした人物として生きることを目指していました。

 10月4日についてもお話しします。10月4日はアッシジの聖フランシスコの祝日です。今の教皇フランシスコはこの聖フランシスコから名前をもらっています。聖フランシスコは12世紀後半から13世紀の人で、イタリアのアッシジの町に生まれ、そこで活動しました。彼は自然界全体を神さまに創造されたものとして大事にする思いをもち、自然界のあらゆるもの、天体も植物も生きものもすべてを神さまに造られた兄弟・姉妹としてとらえていました。「太陽の賛歌」というとても美しい祈りがあります。このことについては毎年お話しています。自然界すべてをこのように親しく考えていた聖フランシスコですから、人間についてももちろん、誰をも友人として考えていました。特に、貧しい人、病気の人の友でした。自分自身も貧しい小さな存在として、シンプルに生活しました。

 聖フランシスコは多くの人に愛されている聖人ですが、特に教皇フランシスコはこの聖人を大事にしています。教皇フランシスコがご自分の出された本(回勅)のうちの2冊の題名はこの聖フランシスコの言葉から取られています。一つは環境問題に対するカトリック教会の姿勢について書かれた「ラウダート・シ」で、気候変動に取り組むにも、SDGsの活動を進めるにも重要な考え方を示しています。この本についてもこれまでにもお話ししてきました。

 聖フランシスコの言葉を引いたもう1冊の本は"Fratelli Tutti"で、これは「みんな兄弟」というような意味ですが、日本語タイトルは「兄弟の皆さん」となっています。この本は9月に日本語訳が出たばかりの新しい本です。きょうだいというと、兄と弟で男子ばかりですが、もちろん姉妹も含まれていて、人間全体に向かって呼びかけている本です。

 "Fratelli Tutti"は今の世界の様々な問題、格差の問題、見捨てられた人々、難民や移民の人々、対立や政治的な不安定、紛争に言及し、そのような様々な課題を抱える世界がどのようにして平和を作り、一つになっていったらよいかについて考えています。非常に現実的な問題に取り組む本ですが、この本で大事な考え方は、は「私から私たちへ」ということです。私だけの世界から、私たちという広い世界へ、私たちの共同体や国だけでなく、もっと広く世界全体に、という考え方です。教皇フランシスコはこの考え方を、あらゆる人、自然界のものの友になろうとしたアッシジの聖フランシスコから受け継いでいます。友になる、友だちになる、ということは共に生きる、共生ということです。

 前期の終業式で「物語」について話しましたが、教皇フランシスコはアッシジの聖フランシスコの物語を受け継いで、自分のものとしようとし、アッシジの聖フランシスコはイエスから物語を受け継いで、自分のものとして生きました。「私から、私たち」になっていく、これはほんもののいのちを生きるために、とても重要な姿勢です。

 私たちが何かを変えていく、そして変わっていく、変容していく、というときに、「私から私たちに」を実現してくことを目指しましょう。私がまず何かを変える、私がまず変わっていく、そのことが「私たち」全体につながっていくということがきっとあるでしょう。

 今回の聖書朗読もルカによる福音書にある有名な箇所でした(19章)。ザアカイがイエスに呼ばれて、イエスと共に生きる人に変わっていきます。聖書の中では、まるで一瞬のできごとのように書かれていますが、実際には少しずつ変わっていったのかもしれないし、なかなか変われなかったのかもしれないし、あるいはある時にイエスに出会って大きく変化したのかもしれません。イエスはご自分の物語に入ってくるようにと、ザアカイを招かれました。ザアカイはイエスの物語の一部になっていきます。同時に、ザアカイは自分の物語をイエスと一緒に造っていきます。そのときに、ザアカイの物語は、イエスが一緒にいてくださる物語へと少しずつ変えられていきます。そして、その物語にはイエスと共に生きるたくさんの人が共にいることになります。私から、私たちへの物語となっていきます。ザアカイはイエスの物語に入ってみて、それまで味わったことのない喜びや楽しさを感じたかもしれません。

 私たちもイエスの物語へと招かれています。私たちも後期の学校生活で、変化を生み出しながら、私から、私たちへと世界を広げていき、変容を生きていきましょう。自分の小さなところから、私だけの世界から、私たちへと広げる一歩を踏み出してください。

 今日はまず通知表をいただいて、自分の現実をしっかり受けとめ、後期の学習につなげてください。そして、みこころ祭に向けて、皆で協力していきましょう。そのためにも、後期も皆が健康で学校生活が続けられるよう、意識をもって生活していきましょう。私の健康は私たちの健康です。

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