校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

6月9日初等科朝礼 イエスのみこころは燃えている  「もゆる」の由来

2021.06.11

 カトリック教会では6月11日にイエスのみこころの祝日を祝います。初等科の祝日行事は18日の金曜日に予定しています。初等科では委員会活動が「〇〇もゆる」たとえば「スポーツもゆる」や「環境もゆる」などと名付けられています。不思議に聞こえる名称ですが、これには意味があります。みこころの祝日を前に、子どもたちと考えました。上の写真は、聖マグダレナ・ソフィアの少女時代の刺繍作品で、イエスのみこころを表したものです。

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 「燃える」、「燃えている」というとどのようなことを想像するでしょうか。何か物が燃えている、火が燃えている、と考えてみると、火にも色々な種類があります。たとえば、火事は怖いです。花火はとても美しい火ですが、一瞬で消えてしまいます。ろうそくの火は小さいですが、とても明るく感じられます。では、「心が燃えている」と言えばどうでしょうか。生き生きして、やる気に満ちている、「さあ、これから」という気持ち、このように感じられるかもしれません。このような心をしている人がいるとしたら、どのような人でしょうか。スポーツ選手?やる気に満ちている人?そして、きっとイエス・キリストです。

 イエスの心は燃えているよう、イエスの心はそのようではないか。イエスのみこころについて、このように考えられてきました。聖心はイエスのみこころの学校です。イエスには様々な特徴があります。大事にしたいところ、見習いたいところ、色々なよいところがあります。何を大事にするか、良いと考えるかは時代によっても違います。イエスの強いところ、王様のようなところを大事にしたい人々も、医者のように人の病気を治すところに注目する人々も、羊飼いのように人を優しく導くリーダーになるところを見習いたい人々もいます。イエスの言葉、知恵、仕事、色々な人が様々な考えをもって注目しています。そして、イエスの心に注目したい人々もいます。

 イエスの心を大切にしたいという考え方は、聖マグダレナ・ソフィアの生まれる100年くらい前からだんだんはっきり出てきました。イエスの心が温かく、人々のことを大切に思っているということを表すために、「心が燃えている」と言い表すようになりました。冷たい、怖い心ではなく、わたしのこと、あなたのことを大切に思ってくださる心です。それは火が燃えるように熱く、生き生きとしている心です。これを言葉や絵で表現しました。心に火が燃えているように描きました。聖マグダレナ・ソフィアも、イエスのみこころを刺繍で表しました。ハートに描かれたイエスの心の上に火が燃えているように描いています。イエスのみこころにある愛の火が燃えていることを表しました。

 「燃える」ということを、昔の言葉遣いでは「もゆる」と言いました。イエスのみこころが「もゆる」。ふーん、このことばどこかで聞いたことがありませんか?「もゆる」です。初等科で皆が楽しく活動している「もゆる」の名前は、イエスの燃えているみこころから来ていたのです。「もゆる」の活動では、イエスのような心で、人のために自分ができることを一生懸命に、私には何ができるかと考えて活動します。「もゆる」では、燃えている心をもつ人が集まって、力を合わせて活動することを目指します。イエスの燃えているような心に倣って、人のために自分のできることをします。これからのもゆるの活動は、ぜひそのようなものになっていきたいです。

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