校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

3月18日 初等科卒業式

2021.03.20

 6年生の初等科卒業式を保護者をお招きしてソフィア・バラホールで行いました。下級生は5年生の代表の児童だけが参加するものとなりましたが、6年生はきりっとした姿で初等科生活を締めくくりました。聖堂で行ってきた式後の祈りの会を、昨年から感染症対策を考えて卒業式と合わせてソフィア・バラホールで続けて行っています。今回は謝恩の会も合わせて行いました。校歌を歌うことが叶わず、録音を聴くという形になりましたが、歌詞をしみじみと味わうことができました。写真は6年生を送る会にあたって5年生が6年生の教室の黒板に描いたものです。

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 6年生の皆さん、初等科卒業おめでとうございます。

 1年生からあるいは5年生からの初等科生活で、皆さんは心も知性も身体も大きく成長しました。今ここにいる皆さんは聖心の子どもとしての経験を積み、きりっとしっかりと立ち、それぞれに自分の考えを備え、豊かな内面を持ち始めている姿に見えます。これまで色々な場面で努力することができました。ご家族から温かな支えをいただいてここまで進んできたことを感謝いたしましょう。

 初等科生活に色々な思い出があるでしょう。しかし、その中でも6年生の最後の1年間は新型コロナウイルスのために本当に特別なものになっていることでしょう。6年生になったらと期待していたのに実現しなかったことがたくさんあったかもしれません。しかし、その一方で、考えてもみなかった楽しかったこと、おもしろかったこともたくさんあったことでしょう。オンラインとして、これまでと違った新しい形で心に残るものとなった行事もありました。クリスマス・ウィッシングでは6年生の皆さんが大活躍して、下級生と一緒に心を込めてこれまでにない形で楽しくお祝いすることができました。

 このような経験を通して大事なことを学んできました。それは、思うようにならない、予定通りでない、という場合でも、必ず何か新しい良いものをみつけることができるということです。これは皆さんが6年生として学んだ大事なこととしてしっかり心に刻んでおいてください。そのときにできることを一生懸命に取り組む、そして、神さまが共にいてくださるから大丈夫、この二つの心がけは、希望の作り手として大事なことです。

 そして、もう一つ大事なことは「ふつう」と「当たり前」の大切さです。このことは皆さんの学年のつどいの発表の中に出てきました。皆さんの発表が私にはとても大事なことに聞こえ、それ以来ずっと考え続けてきました。去年の3月、急に全国の学校が休校になり、6月まで登校できないという経験をしました。そのときに、皆さんはそれまで「ふつう」「当たり前」と何気なく思っていたことが突然に奪われて、毎日の生活がどれほど大切だったかに気づきました。学校で友だちと勉強すること、おしゃべりすること、色々な活動をすること、このようないつでも毎日できると思っていたことがそうではなくなって、その大切さに深く気づきました。これは日本全体、世界全体の去年の特別の経験でした。意味が大きいものです。毎日の繰り返しの中にある、私たちを支えてくれるものに気づいた体験でした。毎日繰り返していることなので意識していなかったものの、実は生活の土台にあって、本当はとても好きなものだったということでしょう。

 では、この「ふつう」「当たり前」とはどういうことなのでしょうか。考えてみましょう。私たちには「特別」な日も大事です。たとえば、卒業式のような日は特別な日で、いつもと違ってきちんとした服装で特別にSBHに集まり、保護者の皆さまをお招きして、式典として練習を重ねてここに臨んでいます。卒業という節目にあたる特別な時だからです。特別な場面は私たちの生活に区切りの時として、記憶に残るものになります。区切りがあって、私たちは意識をはっきりさせていきます。学校行事のように特別な日には、その学校ならではの独特の意味や工夫が込められ、関わる人の思いもたくさんつまっています。

 一方で、私たちには「ふつう」という大事なものもあります。それは毎日知らないうちにも続いていく、気にする必要がなく続いていくものです。これは私たち人間の「生きもの」としての必要です。心臓がずっと動いている、身体の中では、何も考えなくても、命令も指示もしなくても、血液はずっと流れ、食べた物は消化されてエネルギーになっていくということは、人間の「生きもの」としての働きです。この毎日いつもある「ふつう」を私たちは見逃しがちですが、去年の春にこの「ふつう」に突然気がつく経験をしました。新型コロナウイルスが流行して世界全体が感染する危機にあったとき、人間もウイルスも生きものとして地球上のいのちのメンバーで、人間も生きものとして人間の思うとおりにならないこともある、と私たちは世界全体で気づいたのではないでしょうか。

 私の尊敬する女性の生命科学者に中村桂子さんという方がいます。この方は地球上の生命の38億年の歴史を研究され、多くの本を著しています。その一冊に「ふつうのおんなの子のちから」という題名の本があります。「ふつうのおんなの子」には力があるというテーマです。「ふつう」だから平凡でつまらないもの、特に努力しなくてよい、というものではありません。中村桂子さんの言う「ふつう」は、生きものとしての「ふつう」です。人間は人間だけが特別と考えてしまうところがありますが、人間も生きものであって、いきものとして「ふつう」のこと、生きものとして自然に毎日続いていくいのちの流れが大事だということです。このことを日頃の生活を通して敏感に感じ取って大事にしなければならないのではないか、それを感じ取る力をふつうのおんなの子の力と言っています。日頃の生活のふつうの事柄、毎日続いていく小さな事柄、何気ない人との関わり、自然との触れあい、自分のいのちのケア、そのようなことの大事さに気づける力をおんなの子は豊かに持っているのではないか、と中村桂子さんは書いています。おとこの子でもこの力はもちろんある、でもおんなの子の方により豊かにあるのではないかという考えです。中村桂子さんが専門的な知識をもったとても優れた科学者でありながら、特別なことだけに目を奪われるのではなく、日頃のふつうのことがらを大切にして、人間が生きものであることを忘れないように、ふつうのおんなの子のちからに焦点をあてていることに私は注目しています。

 皆さんが気づいた「ふつう」「当たり前」の大切さは、中村桂子さんの考えと響き合います。そして、「ふつう」「当たり前」はいつでも大事にしたい「私」の基本で、「私」が本当に大事にしなければならないものと直結しています。皆さんも目先の特別なことだけを追わず、地味でも大事なこと、着実なことを忘れずにいてください。これからも自分の中の「ふつう」「当たり前」に気づける力を大事にしてください。ふつうはつまらないものではありません。その中に私たちのいのちの大事なものがかくれています。

 4月から中学生という新しい所に向かう皆さんが、「ふつう」に潜む力を発見したことを初等科の宝物として、これから一層自分らしく開花していってくださることを心からお祈りします。

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