校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

6月4日 おもしろい本を読みましょう(71)須賀敦子「ミラノ 霧の風景」

2020.06.04

 今日はサードステージの皆さんにいつか読んでほしいと思う本を紹介します。もちろんセカンドステージの皆さんでもチャレンジできます。

 著者の須賀敦子さんは小林聖心で学ばれ、一時期は東京聖心にも在籍されました。聖心女子大学で学ばれてから、フランスに留学され、その後イタリアで生活され、結婚もされました。日本に帰国してからは上智大学で教えられ、その傍らとてもすばらしい文章を書き始められました。残念なことに1998年に亡くなられました。須賀敦子さんは私たちの偉大な先輩の一人です。亡くなられた後、今でもまだその文章には多くのファンがいます。私もその一人です。

 「ミラノ 霧の風景」は須賀敦子さんの何冊かの著作のうちの最初のものです。1990年に出版されました。ミラノは北イタリアの古い町で、そこは須賀敦子さんの思い出がたくさん詰まった所です。ミラノは霧が有名な土地だそうで、霧の思い出からこの本は始まっています。霧がかかると景色が見えません。しかし、空気に独特の雰囲気があって、それを須賀敦子さんは「匂い」と表現しています。そこからミラノの思い出が書き起こされていきます。20年ほど前に10年以上生活した町として、霧の中からだんだんと見えてくるかのように、思いがたくさん詰まった日々が描き出されていきます。少しずつ、ていねいにものごとが現れ出てくる様は、歩いてものを見て回る旅人の視点のようにも感じられます。書き手の新鮮なものの感じ方、受け止め方が伝わります。

 この本はミラノに始まり、著者が住み、訪れた町々、そこで出会った人々のことが書かれています。出会った人と交わした会話がいきいきと再現されて、あたかもつい最近のこととして話を聞いているかのような、温かな親しみ深さが感じられるのは、表現力・描写力の確かさによるものでしょう。そして、折々にはさみ込まれる詩や文学への言及は、背景にある著者の文学への深い知識と思いを物語ります。質の高い語りの巧みさがあります。

 須賀敦子さんは人間的にとても魅力のある方でした。私が須賀敦子さんに出会ったときは1986年くらいのことで、まだこのような文章を書かれる前のことでした。私にとっては須賀先生です。その当時、私は仲間たちとダンテの「神曲」を読んでいました。「神曲」は100の「曲」、つまり100の区切りからなっているので、それを毎週1つずつ2年かけて読み進めているところでした。「神曲」の原語はイタリア語ですが、私たちは英語で読んでいました。「神曲」は難解なところもあるものの、とてもおもしろい本です。あるとき、聖心大で須賀先生がこの「神曲」についての講義を担当されると知り、聴講をお願いしました。すると、先生はとても気さくに、毎週聖心大の講義に行くときに車で行くから、そのときに一緒に行きましょうと言って、最寄り駅から先生が運転される車に乗せていただく、という今から考えると途方もなく贅沢な機会に恵まれたのです。先生のお話は大変おもしろく、何よりもその率直でまっすぐなお人柄に心を打たれました。講義でもとても表情豊かに、楽しくダンテについて語られて、毎回、講義の内容を聴きに行っているのか、先生にお会いするのを楽しんでいるのか、自分でもわからないほどでした。

 先生の講義を伺って、聖心の教育の意味が理解できたと感じました。それは自分で考えること、感じ取ることを大切にするということです。仲間たちと「神曲」を読みながら、テキストが語ることにまっすぐに耳を傾け、たとえつたなくても良いから自分で感じたこと、考えたことを大事にしていました。それができる仲間たちと一緒に学べたことは恵まれたことでしたが、その仲間たちと共に学んでいても、私の中に芯のようにある、自分でしっかり読む、少なくとも読もうとするという姿勢は聖心で培われたものだと分かりました。知識や理論や学説を学ぶこととは別に、自分として考えるセンスを磨くこと、それが聖心の教育だったと分かりました。一人ひとりを本当に大切にする教育です。センスは土台なので、その味わいを自分のものとしてしっかりつかみながら、新たなものを学び続けなくてはなりません。世の中に出てみると初めは無防備かもしれませんが、芯となる原動力があるので、切り開いていくことができます。このことを教えてくださった方の一人が須賀先生でした。聖心大での先生の講義での姿勢、そしてご自身の聖心の卒業生としての生き方を通して教えてくださったのでした。

 残念なことに須賀先生の文章に出会ったのは、亡くなられた後のことでした。1990年ごろ私は駆け出しのシスターで、色々な本を読む余裕がまだ自分にはない頃でした。もし、先生の生前にこの本に出遭っていたら、きっとお手紙を差し上げたのにと残念でなりません。文章を読むたびに、先生の表情豊かなお姿が思い出されます。

須賀敦子 「ミラノ 霧の風景」 白水社 白水Uブックスーエッセイの小径 

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