トップページ > Spirit of "Mikokoro" > 4月8日高等科入学式・始業式 自分らしく、自信をもって生きる
今年度に高等科生となった学年は緑の学年カラーです。高等科生としてより一層各自が開花することを願います。
高等科入学式では、式後に生徒会が10年生に対して高等科生活のオリエンテーションも行います。中等科との違いや、高等科生だけの委員会などについて説明します。また、本校には校歌が2つあり、10年生はこの入学式の場で初めて2つ目の校歌に接します。高等科生になったことを実感するときです。
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緑の学年の皆さん、高等科入学おめでとうございます。
新たな思いでこの新学期を迎えていることと思います。学年には、札幌聖心から2名、復学の方1名の3名を新しいメンバーとして迎えました。札幌聖心の校長先生から、お祝いの言葉もいただいています。
10年生の皆さんは、皆さんが9年生から踏み込んだサードステージにさらに一歩を進め、高等科生活という自分らしい学びを自ら開いて行くスタートの日です。大いに期待して始めましょう。高等科生活には色々な可能性があります。それは自分から開いていくものです。これまでの多くの卒業生から、「この学校にはチャンスがたくさんあった。それらは、尋ねてみれば、開かれるものだった、相談してみたら、見えてくるものだった、チャレンジして良かった」という言葉を聞きました。10年生の皆さんには、そして11年、12年の皆さんにも、このような経験をしてほしいと思います。一人ひとり見る目をもって、チャンスを掴んでください。
今、教会ではイエスのご復活の恵みの時を祝っています。3月31日の日曜日がイースターの日でした。イエスは十字架の上で大きな苦しみを受けましたが、死の苦難を越えて、新たないのちに生き、そのいのちを私たちに分かち合ってくださっています。このご復活の新しいいのちを受けて、今学年を始めます。
今年の学校目標は「私から私たちへ 対話:始める、深める、変わる」とします。「私から私たちへ」と「対話」、この二つは今の世界にとても大切なこととして、今年度も続けます。同時に今年度は、対話について「始める、深める、変わる」の三つの動詞をあげました。まず、対話を始める。自分から声をかけます。待っているのではなく、自分から進んで対話を開いていく心がけをもちましょう。自ら始めるところに大きなものがきっと開けます。そして、対話だけでなく、勉強でも何かの活動でも、受け身的に待つのではなく、自ら進んで取り組んでいく心構えを皆さんに求めたいと思います。自分から「始める」ところに、自分のものをみつけていく楽しさや喜びがきっとあるでしょう。
二つ目の動詞は「深める」です。対話を開いたら、そこで聞いたこと・知ったことを、よく考え、ふり返り、深めてください。ふり返りは聖心で大切にしている活動です。深めることで対話は確かなものとなっていきます。そして、三つ目は「変わる」です。良い対話があったら、新しい考えが生まれ、新しい関わりが生まれ、新しい行動が生まれます。私たちは対話を通して変わっていきます。私が変わる。誰かが何かを変えてくれるのを待つのではなく、自分が変わる。そして、その時には、きっと自分だけではなく周りも変わっていくでしょう。皆さんはそんな変化を生み出す力にもきっとなれるでしょう。今年度も目標を通してどのようなことができるでしょうか。身近なところから、広く社会や世界に向けて、どんな対話して、どのような変化を生み出すことができるでしょうか。学校生活の中で、皆さん自身の中で、大きな実りがあることを期待します。
そのような皆さんを励ますために、一人の人物を紹介します。西村宏堂という人を知っていますか。仏教の僧侶であり、メイクアップアーチストであり、LGBTQの当事者です。30代の若い方です。初めてこの方の写真を見たときには驚きました。僧侶ですから、髪の毛はとても短いです。そして、とても強烈なインパクトの化粧と衣服に身を包んでいました。とても鋭い視線です。目に力があります。どんな人なのだろうかと、見かけに圧倒されたのが最初の印象です。一方で、私たちは日頃目に見えないものを大切にしています。ですから、見た目のインパクトだけではほんものかどうか決めることはできません。見かけだけで生きていくことはできません。しばらくは注目されるかもしれません。しかし、ほんものではありません。この人はどのような人なのだろうか、正直なところ私は半信半疑の気持ちを抱きました。
私はその後この方のインタビュー場面に接したり、本を読んだり、生き方に触れて、皆さんにも知ってほしい人物だと感じました。
西村宏堂は仏教の僧侶でありながら、一流のメイクアップアーチストでもあります。僧侶ですが、自ら化粧をして美しく装うこともする。男性として生まれたましたが、生き方はその型にはまりません。今は自分を堂々と主張して、見た目でも言葉でも、自分の生き方を発信しています。そして、人々の共感を得ています。まだ若い方ですから、これからどのように生き方を深めていくのか未知数ですが、人々の注目と期待を受けながら、苦しみながらでもほんものを求めていく人なのだろうと私は感じています。
この方は高校生の間は全く自分に自信がなかったそうです。まだ自分が何者であるか知らない。そして、自分にどのような力があるかも知らない。自分は全然何も良いところがない。ただ自分が普通の人とは違うことを感じ、当てはまらない自分は劣った人間だと思っていたそうです。皆と同じでないことが劣ったことだと思っていたのです。ずっと自分を人に隠していました。自分で自分を縛って、苦しんでいたのです。
高校卒業後にこの方はアメリカに行きます。そこでも始めは東洋人である自分を白人と比べています。しかし、美術を大学で学ぶようになり、だんだんと色々な人に出会い、自分を受けとめてくれる人にも出会い、自分を型にはめなくて良いことに気づいていきます。嫌いだった自分を、自分が好きになることができたのです。
自分の本当の姿を人に知ってもらう、自分の人生は自分で決める。今は自信をもって自分の生き方を追求しています。同時に、自分を磨くためにとても努力しています。
この方の語る言葉はシンプルですが、自分が生きてきた、ほんものの言葉だと感じさせられます。こんなことを言っています。「自分の好きな自分で生きていくなんて想像できない。それは一握りの人ができること。谷底から這い上がれる訳がない。・・・それはもちろん難しい。しかし、自分の考え次第でその谷底は埋められる。自分の谷底を埋められるのは自分しかいない。」「違いを理解してもらうのは難しい。だから、自分の気持ちをどう相手に伝え、他人からどう自分を守り、最後はどう相手を味方につけるのか」考える。力強い言葉です。
これは、一つの生き方です。具体的な生き方は様々にあります。こうでなくてはならない、というものはありません。しかし、この方の生き方から、自分らしく生きるということを感じ取ることができるでしょう。Youtubeやインスタグラムにも登場しています。見てみてください。
今学年の皆さんのチャレンジを期待します。自分を発見し、自分の好きな自分で生きる。そのために自分自身とも対話してください。自分の好きな自分に開かれるとき、自分だけの世界ではなく、私から私たちへの世界へと同時に開かれていくことにきっとなるでしょう。
対話に注目し、始める、深める、変わる、と進んでいってください。
今日の聖書の朗読では、一番最初にイエスの復活を知るのは女性たちだと伝えられます(マルコによる福音書16章1~7)。この重要なできごとを最初に知ったのが女性たちだったということはとても意味深いと、私はいつも感じます。イエスの墓を訪れた女性たちは、イエスを大切にしたいという思いでいっぱいですが、イエスは亡くなったものと思い込んでいます。当たり前のことです。この女性たちはイエスの死を見届けて、イエスを埋葬したからです。しかし、墓に行ってみると、墓は開けられて空になっていて、見知らぬ人がイエスは復活したと言って、「弟子たちとペトロに告げなさい」と伝言を与えます。イエスは墓ではなく、ガリラヤにいて、そこで会えるというのです。女性たちは復活という全く新しいことがらを告げ知らせる者としての使命を与えられます。
イエスの復活という重要なことを最初に知り、弟子たちに知らせる、これは重要なことです。神様は女性たちに大事なものを託しているのです。
イエスの復活は人間の思いを越える、神様の恵みです。イエスを大切にする気持ちでいっぱいながら、自分達の思いに囚われてもいた女性たちは、自分の思いを越えるものを神様からいただく恵みを受けたのです。聖書の中のこの女性たちと共に私たちも、この新しいいのちに入っていく、今までのものを越えていく恵みをいただきましょう。
今日から高等科生活を新たに始める10年生の皆さんにとって、そして、新学年を始める上級生のみなさんにとっても、今日にふさわしい恵みです。
今年度も聖心として、世界に開かれた学校でありたいとも願っています。4月25日・26日にはニュージーランドの聖心 Baradene College が訪問してきます。音楽の交流を予定していますから、楽しみにしたいと思います。
今年度私たちの学校には、もう一つ新しいことがあります。ミツバチの飼育を始めることになりました。本館の屋上に巣箱を設置しました。そこでたくさんのミツバチが活動しています。ミツバチは正しく接すれば人間に害を与えることはありません。理科の先生から正しい接し方を教えていただいてください。私たちの学校は緑に恵まれて、ミツバチを飼うのに適した環境です。ミツバチを通して、たくさんのことを私たちは学ぶことができるでしょう。楽しみなことです。
10年生の皆さんの高等科生活が充実したものとなるよう、11年・12年の皆さんも含めて、活気に満ちた高等科となるよう、皆さんの間の対話に大いに期待しています。