校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

6月10日中高等科朝礼 みこころの祝日に向けて

2021.06.11

 中高等科は6月11日のカトリック教会のみこころの祝日当日に、学校でも祝日行事を予定しています。例年はミサを行い、みこころに因んだ活動をしてきましたが、昨年以来、新型コロナウイルスのために学校ではミサを祝うことができていません。今回は感染症対策に留意しながら、ミサを計画し、中・高等科それぞれの活動も予定しています。この日は12年生の当番の生徒たちが、みこころの祝日に向けてとても意味深い祈りを考えてくれました。祝日を前にして、みこころについて考えました。上の写真は当日の中等科ミサの様子です。

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 みこころの祝日には、ミサを久しぶりに行い、皆で集まって共に祈ります。これまでも、放送でも祈りを共にしてきました。カトリック教会では、ミサに集うことができない人々のために、ミサのライブ配信が行われてきました。それもコロナウイルスの状況下ではとても意味があることです。しかし、本当は、同じ場に集まって祈ること、祈りを共有するよろこびを大切にしたいものです。祝日のミサでは、全員で作る静けさを大切にして味わいましょう。

 みこころの祝日の教会のミサでは、聖書朗読に、みこころに関する3つの箇所が年ごとに一つ読まれます。マタイによる福音書11章にある「重荷を負った人は私のもとに来なさい」という箇所、ルカによる福音書15章にある「見失った羊」の箇所、ヨハネによる福音書19章にある、イエスが十字架の上で脇腹を槍で突かれる、という箇所の3つです。「見失った羊」は昨年のみこころの祝日に取り上げました。100匹の羊のうち、見失われた1匹のために、羊飼いが99匹をおいて捜しに出かけます。昨年の祝日では、皆さん一人ひとりから一匹の羊の絵を集めて学年ごとに掲示しました。集まることのできない私たちの代わりに羊に集まってもらいました。とても心に残る活動となりました。ヨハネによる福音書は、今年教会で読まれる朗読箇所です。

 これら3つの箇所から見えるイエスのみこころは、人のために尽くす、人に寄り添い、人と共に生きる姿です。共に重荷を負い、誰をも見捨てず、共に生きようとする姿です。人との関わりを大切にしています。ヨハネによる福音書では、十字架の上の孤独な姿ですが、槍で突かれて血と水が流れ出るイエスの姿は、自分のすべてを与え尽くす生き方を示しています。マタイによる福音書のイエスは重荷を負う人を招き、休ませてあげようと言っていますが、この箇所は、翻訳によっては「魂の安らぎ」となっています。フランス語の聖書でも「魂」となっています。その意味でも大切な箇所です。イエスのみこころに皆さんの魂でふれてほしいと思います。重荷というと大げさに聞こえるかもしれませんが、気が重いことは誰でも抱えています。

 祝日行事では、ミサと活動を合わせての2時間を意味深く過ごしてください。中等科・高等科それぞれに異なる活動です。高等科はNPO法人キッズドアを招いて若者たちが社会で直面する現実について話を伺います。中等科生もみこころに因んだ活動をします。イエスだったら、どのように考えるか、そのような気持ちで取り組んでください。よい時となりますように。

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