校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

4月30日おもしろい本を読みましょう(48)前田健太郎「女性のいない民主主義」

2020.04.30

 昨日4月29日はカトリック教会では、シエナの聖カタリナの祝日でした。聖カタリナは14世紀のイタリア、シエナという町の女性です。catherine.jpg右の画像がカタリナです。1347年に生まれました。20人以上もの兄弟姉妹の末っ子だったそうです。父は染め物職人と言われています。修道生活に小さいときから憧れて、18歳でドミニコ会の修道女となりました。シエナはとても美しい、古い町です。数年前に訪れる機会がありました。聖カタリナを記念する大きな聖堂や生まれた家の近くの修道院などを訪問し、カタリナのことがとても心の残りました。教会の聖人たちの何人かは「教会博士」と呼ばれます。学者であった司祭など、学識と信仰の理解にすぐれた人に与えられる称号です。女性はごくわずかで、シエナの聖カタリナはその一人です。なぜ14世紀の女性が教会博士と呼ばれるのだろうと長いあいだ不思議に思っていましたが、シエナを訪れたときにわかったと感じました。

 修道院の小聖堂の天井には大きなフレスコ画でカタリナの生涯が描かれていました。カタリナは女性や子どもたちに話したり、司祭や政治を動かす貴族の男性たちに向かって話したりなどの活動の場面があり、また祈りの中で神さまからインスピレーションを得ている姿も描かれていました。その絵が伝えることは、カタリナは学問の機会には恵まれなかったが、神さまへの深い信仰をもって子どもや女性たちにもわかる言葉で話し、同時に男性たちに対しても討論し、主張することができた女性だったということです。だから教会博士とされたのです。それほどすぐれた知性の持ち主だったのでしょう。壁画を通して理解することができました。上の絵では、右下の方に一人の女性の顔が見えます。その女性をカタリナは介護し、食物を与え、心の癒やしも与えたのでした。カタリナの人々への献身的な奉仕も称えられています。

 フレスコ画にある男性たちとの討論の場面は何だったのでしょうか。14世紀の女性が男性たちと討論することは非常にまれなことです。今回調べてみて、驚かされました。カタリナは当時のイタリアの諸都市の対立の状況に対して、国の権力者や指導者に働きかけて諸都市間に平和条約を結ばせようとしたり、司祭たちの改革を提言したり、さらに、ローマ教皇にも働きかけて教会の分裂や対立を解決しようと試みていたのです。そのために各地に旅し、亡くなったときはローマ滞在中でした。33歳の若さでした。このような活動を聖カタリナは信仰に基づいて行いました。カタリナは自分では文字を書くことはできなかったと言われています。人を頼んで自分の言葉を筆記してもらい、その書が伝えられています。非常に豊かな内容のものです。貴族の出身でもなく、男性と同じ教育の機会にも恵まれなかった女性が政治にも関わっていたことにとても驚かされました。女性に対する偏見もあった時代にあって、それほどの影響力をもっていたということは、カタリナの語る言葉に深い知恵と大きな力があったということでしょう。政治に関与した女性の聖人であったことを今回新たに知りました。

 今日はサードステージの方に向けて、現代の社会における女性と民主主義に関する本を紹介します。聖カタリナの時代から何100年も経た現代において、政治の世界で女性の位置はどのようになっているでしょうか。日本では政治の世界に女性が非常に少ない状況です。民主主義と言われる国で、国民の半数は女性であるのに、それで本当に民主主義と言えるのでしょうか、ということがこの本の主張です。著者は男性の政治学者ですが、女性と民主主義の関係について問題意識をもって、色々な面から整理して書いています。民主主義と言われる社会の中で、女性として政治についてどのように考えていったらよいのか、どのように参加していったらよいのか考えさせられます。

 聖カタリナはイタリア全土にペストが大流行したときに、仲間とともに献身的に介護活動をしたと言われています。今の新型コロナウィルス感染症に苦しむ私たちのために祈り、きっと支え助けてくださるでしょう。聖カタリナに助けを祈りましょう。

 前田健太郎 「女性のいない民主主義」 岩波新書 2019年

 

このページのトップへ
このページのトップへ