校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

12月4日 初等科朝礼 小さな声に耳を傾ける

2019.12.10

クリスマス・ウィッシングの全体練習もあり、初等科講堂に集まっての朝礼となりました。クリスマスに向けて、小さなものを大切にし、静けさの中で小さな声に耳を傾けることについて考えました。

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小さなものは、それが大切なものであっても、見失いやすいものです。小さなものには気がつきにくいこともあります。「大切」、「大事」、「重大」と漢字で書くように、重要なことには日本語では「大きい」という字をあてています。しかし、大事なことが大きなこととは限りません。大事なことが小さなことから成り立っていることもあります。亡くなられた緒方貞子さんのことを思い出してみると、世界のための大きな仕事をされましたが、小さいこと、たとえば、名前もない難民の人や子どもたちを大切にすることを心がけていらっしゃいました。小さいことを大切にすることが、世界のための大きな仕事に繋がっています。

小さなものを大切にする心はとても大事です。小さなものは静かな心がないと見つけることができません。小さな音は静けさがないと聞くことができません。マリア様が天使からイエスの母となることを告げられたとき、それは耳に聞こえるような声ではなく、きっと心に静かに響く声だったでしょう。聖書の中に出てくる、神様からの呼びかけを聞いた人たちは、静けさの中で聞き取っています。

モーセは、イスラエルの人々をエジプトから導き出す、大きな役目を果たしました。モーセはある日、山の中を一人で静かに歩いていたときに、不思議な光景を目にして、そこで神様からの呼びかけを心に感じ取ります。木の茂みが燃えるように光っているのに、燃え尽きてしまわない、という不思議なものでした。それを眼にしたとき、神様からの呼びかけを感じます。山の中の静かな場所のことでした。(出エジプト記3章)

サムエルという人は、小さい子どもの時から神殿で祭司の弟子として生活していました。ある夜、休んでいると、誰かに「サムエル、サムエル」と呼ばれたと感じて、祭司のところに行って「先生、お呼びになりましたか?」と聞きます。しかし、祭司の先生は「呼んでいない。戻って休みなさい。」と言いました。それなのに、もう一度、サムエルは呼ばれたと感じて、先生のところに行きます。しかし、先生は呼んでいませんでした。同じ事が3回目にも起こったとき、先生は考えて、「今度呼ばれていると感じたら、『主よ、お話ください。しもべは聞いております』と言いなさい」とサムエルに教えてくれます。また呼ばれたと感じたとき、サムエルは先生に言われたとおりに答えると、神様からの呼びかけが聞こえてきました。サムエルは夜の静けさの中で、一人で休んでいるときに神様からの声を聞きました。(サムエル記上3章)

エリヤという人は、預言者と言われる、神様の呼びかけを聞いて、人々に伝える役目を果たしていた人です。エリヤが聞いた神様からの声も小さな声でした。神様の声は、山が崩れるような激しい風の中や、大きな地震、燃えさかる火のような、神様の大きな力が激しく働くことを期待した場面では聞こえませんでした。大きな音がするものがすべて過ぎ去ってから、静かにささやく声が聞こえてきて、それが神様からの呼びかけでした。エリヤは神様の呼びかけが小さなもの、小さな声として私たちに感じられることを教えてくれます。(列王記上19章)

クリスマスに向けてのプラクティスのために、まず私たちは静けさを大事にします。静けさの中で、何か大事なこと、神様をみつけたり、神様からの呼びかけを感じたりすることができます。神様からの呼びかけを聞き取れるように、よい沈黙を私たちの中で大切にしましょう。その心が、「正直さ、責任、勇気をもって」というプラクティスの実行にきっとつながります。

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