校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

11月第1週朝礼「聖心の子どもは一人で天国に行ってはいけません」

2019.11.11

 創立者聖マグダレナ・ソフィアの語られた言葉、書かれた言葉には心に残るものが数々あります。それらは聖心の児童・生徒に大切受け継がれ、日頃から親しまれ、学校の特色を表すものともなっています。たとえば、「聖心は一つの家族」、「たった一人の子どものためにも学校を建てたでしょう」などは、多くの子どもたちの支えとなっています。「聖心の子どもは一人で天国に行ってはいけません」は最も心に残るものの一つですが、その意味するものを考えさせられる言葉でもあります。11月はカトリック教会では「死者の月」とされ、亡くなられた方々のことを思い起こし、祈りを捧げる期間です。創立者の言葉をこの月に合わせて考えました。

 「聖心の子どもは一人で天国に行ってはいけません」とはインパクトのある言葉です。しかし、実際に何を求められているか考えなければなりません。まっすぐな心の初等科の低学年の子どもたちからは、「天国に行くということは神さまのところに行くことで、だから、一人で死んではいけないということですか」のような質問を受けることがあります。これはとても微笑ましい質問です。創立者を大切に思うからこそ、この質問を驚きをもって受け止めているのだということが伝わってきます。もちろん、創立者は死のときの人数の問題を言っているのではありません。

 聖心では「人の役に立つ」「人と共に生きる」「共生」ということを大切な価値としています。「天国に行く」ということは確かに人の死を意味することもあり、また、神さまと共にいるということでもあるでしょう。ここで「一人で行ってはいけません」というときに、死のときに注目するのでなく、天国に至るまでのプロセスとしての人生の生き方に注目することもできます。私たちは自分一人が神さまに良しとされる生き方をすることもできるかもしれませんが、誰かと共に神さまに向かう、誰かと一緒に神さまと共にいる、そのような生き方を選ぶこともできます。

 卒業生が亡くなられたときに、改めてその方の生き方が現れ出ることがあります。生きている間に多くの方のために力を尽くされ、多くの方がお世話になり、助けられ、支えられたと感じていらしたことが改めてわかることがあります。そのような方々は、ご自分と神さまがつながり、共にいるだけでなく、多くの人と人をつなげ、多くの人を神さまへとつなげる生き方をされた方です。そして、亡くなられてもなお、人と人をつなげ、人を神さまへとつなげてくださいます。このような生き方をすることが、「天国に一人で行ってはいけません」が意味することであるに違いありません。

 イエスはご自分の死と復活によって、地上のいのちの先に神と共にある新たないのちがあることを教えてくださいます。亡くなられた方々も、神のもとで新たないのちを生きられ、今も私たちとつながっています。喜谷昌代様、緒方貞子様など神さまのもとに旅立たれた偉大な卒業生の方々を思い起こし、祈りをお捧げいたします。

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