校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

中高等科 前期終業式 9月28日

2017.09.30

今日で前期を終了します。試験が終わり、答案も返却されて、「終わった!」と感じているかもしれませんが、同時に次に向かっての始まりの時でもあります。良い形で、前期を終えたいと思います。

4月からをふり返って、今日までの学校生活にまず感謝したいと思います。色々な活動を通して、皆さんは学んできました。良かった、うまく行ったと感じることもあり、失敗してしまった、うまく行かなかった、残念だと思うこともあり、それらの両方を通して学んできました。特に、この2日間は、期末試験の結果を得て、学習の成果について考え、ふり返っていると思います。後期からの学習に向けて、ふり返りを深めましょう。点数だけにこだわらず、日ごろの自分の学習への取り組み姿勢、自分がどのような気持ちで勉強してきたか、ということをよくふり返ってください。

人間は習慣の動物と言われます。私たちは、それぞれ、気づかないうちに自分の中に作ってきた行動の習慣を持っています。自分の独特の行動パターン、思考のパターンです。まずそれに気づいてみれば、強みも弱点も発見するでしょう。自分の行動のプロセスをふり返って、自分のパターンや習慣に気づいてください。よい習慣は続け、ふさわしくない習慣は変えていくと、手にする結果も変わってくるでしょう。ふり返りを通して、きっと気づくことができるでしょう。

高等科の生徒会のニュースレター「いずみ」も、ふり返りのひとつの助けとなるかもしれません。9月には2枚の「いずみ」が出ました。高等科の皆さんは楽しく読んだと思います。7・8年の皆さんも7月の七夕ウィークには参加しましたので、その報告は読んだことでしょう。「いずみ」はいつもユーモアをもって、皆さんからの意見を考えてくれています。7月の七夕では、高等科のテーマは将来に残したい聖心の伝統、将来学校がこう変わってほしい、将来の聖心生へのメッセージということでしたし、中等科は学校、学年、クラスをどう変えていきたいかということでした。集まったメッセージを見ると、学校について皆さんが感じていることが伝わってきます。皆さんが学校が好きで、大事な場所と思っていること、メンバーとして参加し、学校をより良い場にしていきたいと思っていることがわかります。中高全体を通して多かった言葉として、聖心の大自然、挨拶ができる生徒、笑顔が絶えない、意見が言い合える、他学年との交流、絆・団結力を強める、が挙げられていました。こういうものを私も皆さんと一緒に大事にしていきたいです。

多くの場合に、意見を出しても、すぐその通りになりません。しかし、メンバーとして意見を表明することは大切です。時には、意見を出すことには勇気がいります。周りからどのように思われるか心配になることもあるでしょう。異なる考え方の人がいるとわかっているときは特に難しく感じられます。時々、重要なことほど、表明しにくいこともあります。その意見が真実をついている時には、なおさら難しいものです。しかし、自分たちがより良いものになるためには、本当のことを表明しなければなりません。表明することはメンバーとしての責任です。表現の仕方を工夫して、自分たちにとって大事なことから目を逸らさないでほしいと願っています。

出された意見について、言うまでもないことですが、受け手側はしっかり受け止めて、よく考え、フィードバックすることが大切な責任です。意見がどのように取り扱われるかに、集団の考え方が表れます。「いずみ」はユーモアをもって受け止め、応答しています。答え方におもしろい工夫がありますが、不真面目とは感じられません。実現がむずかしいことについても、よく考えたことが伝わってきます。

生徒会を例にとって話してきましたが、メンバーから意見が出されて、それを考えていくということは、いろいろな活動の中で皆が体験していることです。コミュニティを築くということは、このような意見のやりとりから作られていきます。話す、話し合いをする、という形をとることもあるでしょう。特に今、みこころ祭に向けて、いろいろなところで実行しているでしょう。コミュニティは関わりによって成り立っています。意見の交換や、心の通い合いがなければなりません。一部の人に都合の良いことでなく、双方向で、全体にとって意味のある動きをしていくことが大切です。リーダーシップをとっている人たちは、全体像を見ての判断や決断を求められます。そして、そこには必ず自分のことだけでなく、全体のことを考えて、惜しみない心でお互いに力を出し合う動きがあるはずです。Generosityの働きもあるはずです。これからの日々に皆さんがお互いに意見の言い合える関わりをぜひ深め、学年の後半に向けて実り多い活動をしてほしいと思います。

皆さんの励ましになると思う映画を紹介します。9月29日から公開の「ドリーム」というアメリカの映画です。先週、宣伝していましたので、気づいた人もいるかもしれません。1960年代初めのアメリカは、当時のソ連と宇宙開発の競争をしていて、少し出遅れています。その時期のアメリカ航空宇宙局NASAが舞台です。まだコンピューターはない時代で、人間がすべての計算をしなければなりませんが、当時NASAでは、計算の仕事は下準備として黒人の女性が担当でした。数学にすぐれた女性たちが集められていました。有色人種の差別がまだあり、黒人の女性たちは建物の地下室の一角に集められて仕事をしています。食堂もトイレも別。その中で、主人公はすばらしい数学の才能を持った黒人女性です。仕事も初めは限られた部分の計算だけ任されて、信頼も期待もされていません。しかし、だんだんと他の人には不可能だった問題を解決する方法をみつけたり、勇気をもって正しい解のために発言を繰り返したりしているうちに、「この人なら」「この人でなければ」と信頼されていきます。ほんものに向かう責任感と熱意のある女性の姿です。これはキャサリン・ジョンソンという実在の人物がモデルのストーリーです。ほかにコンピュータープログラミングの先駆者とエンジニアになる2人の女友達が出てきます。

女子であっても、有色人種であっても、認められていなくても、差別されていても、ほんものはほんもの。本当に大事なことに向けて努力を惜しまず、あきらめないで自分の考えを伝えていく、表明していく姿は感動的です。映画の原題は"Hidden Figures"で、「隠された数字」、「姿」といった意味です。表舞台に立たせてもらえない女性たちのことでもあれば、限られた情報しか与えられずに、大事なことが隠されたまま仕事をしなければならなかった、隠された数字、という意味でもあるでしょう。ほんものが明らかになっていく、というストーリーは力があります。こんな女性たちがいたと励まされます。機会があったらぜひ見てみてください。

今日の聖書朗読はヨハネによる福音書4章で、イエスがサマリア人の女の人と井戸のところで話しています。イエスは旅の途中で、時刻はお昼ごろ、疲れていて、水をくださいと女の人に頼みます。しかし、普通の女の人はわざわざ暑い真昼に井戸に水くみに行かないので、この女の人は人を避けたい事情があるようだということですし、サマリア人はよそ者として避けられていますので、この女の人は、なぜサマリア人の私、人を避けている私に声をかけるのかとびっくりしてしまいます。聖書からは、イエスがこの女の人を一人の大切な存在として対話している姿が読み取れます。女の人だから、サマリア人だからと区別していません。そして、イエスを通して神さまにつながっていくと、その人の心は、涸れることのない泉から水が湧き出るように、豊かになっていく、と言っています。ぶどうの木の枝であるイエスとつながっていなさいのたとえと似たところがあります。「泉」はつきない水の源です。いのちの源でしょう。イエスはその女の人が気づいていない、心の中にすでにある、泉の源泉のような、神さまとの関わりに気づかせてくれます。皆さんもイエスの言葉に導かれ、自分の心につきない泉をみつけてほしいと思います。

これから1週間、それぞれに充実した日々を過ごしてください。みこころ祭に向けて、準備の活動が忙しい方もあるでしょう。自分の役割と責任を共同体全体のために、しっかり果たしてください。学習について、自分の課題に向き合わなければならない方もあるでしょう。自分から逃げず、ほんものへと向かってください。自分に対する責任です。

後期始業式に、皆さんが新たな意欲を持って臨んでくださることを期待して、終わります。

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