校長室ブログ - Spirit of "Mikokoro" -

中高等科 夏休み明けの集まり 

2017.09.01

中高等科 夏休み明けの集まり 

 9月の学校生活が始まりました。夏の間に様々な経験をして、色々な人に出会って、皆さんは豊かになって、今日登校していらしたと思います。今年度の学校目標にあるように、学校の外でコミュニティを築き、惜しみない心で活動してきたと思います。7月の各学年の校外学習や、部活動、奉仕活動やボランティア、語学研修、海外体験学習、そしてご家族でも楽しい時間があったと思います。

たくさんの方からお便りもいただきました。ありがとうございました。お返事はできませんでしたが、とてもうれしく読みました。活動の様子、感じたこと、気づいたこと、発見したこと、皆さんの夏休みの様子を知ることができました。お便りを通して、皆さんの持っている豊かさ、気づいたり、考えたりする力など、聖心生の大きな可能性を改めて感じました。

8年生は奥日光のキャンプで、当たり前の生活のありがたさを実感しました。班で行動しながら、お互いの意見を聞くこと、自分と異なる意見を受け入れること、信頼関係を築くことの大切さを学ぶことができました。助け合って励まし合う関係をこれからも学年で育ててください。

 9年生は青森で農作業を経験し、暑かったり、体にきつい作業だったり、農業の大変さを知って、食べもののありがたさを実感してきました。野菜には農家の苦労が詰まっています。このことをこれからも忘れないでください。私もスーパーや冷蔵庫の中の野菜を見たら、皆さんと一緒に農家の方々のことを思い出すことにします。

 11年生は長崎で平和について学んできました。平和について学ぶことを学んできたと言った方がよいかもしれません。原爆の体験者の話を聴いたことを皆さんはきっと忘れないでしょう。辛い現実を見たり、聴いたりしたこと、知ったということの責任を深く感じているでしょう。これからの生活につなげてほしいと思います。平和への思いを受けつぐにはどうしたら良いか、更に深めるには何を学び、どう生きていくのか考えて行ってください。

 12年生は黙想会で沈黙の豊かな可能性に気づいてきました。自分の中の変化、新しい世界が開けたかのように感じた人もあるようです。

 これら以外の海外体験学習などでも、皆さんはたくさんのことを体験してきました。この夏、一人ひとりが気づいたこと、体験したことを、今日からは学校生活を通して、分かち合って深めていく時です。学校で新たなコミュニティを作っていきましょう。心を込めてまわりの人の話を聴いてください。

 聖心のコミュニティとして、Generosityを私たちはめざしています。そのために、この秋はふり返りを特に心がけてほしいと思います。ふり返りは聖心の大きな特徴です。私たちの心を育てる力です。色々な場面で「ふり返り」といつも言われていますから、ふり返りの大切さは感じていると思います。短時間でも良いです。自分の頭の中にあること、心を見つめます。自分はどう行動したのか、どう考えていたのか、どう感じているのか、ふり返ってみます。そうすると、心に落ち着きとゆとりが生まれます。忙しいとき、頭がいっぱいのとき、もやもやしてわからないと感じるとき、自分をふり返ると、何かに気づくはずです。そこから新たなチャレンジが生まれ、自分の心に納得が生まれるでしょう。自分らしくなること、そして、自立のためには、自分の中に納得があるかどうかが決め手です。

 今日から始まる学校生活は皆さんに真剣さを求めます。逃げずにチャレンジを受けとめてください。ふり返りを通して、自分で納得しながら、手応えを実感する生活をしてほしいです。特にこれから期末試験に向けて、学習にしっかり取り組んでほしいと思います。お互いの励まし合いも力になるでしょう。学校目標も心にとめてください。

 夏の間の工事についてお知らせします。高等科の教室にプロジェクターと電子黒板を設置しました。また、ピロティのサードステージの靴箱をリニューアルしました。大切に使ってください。

 最後に、今日の聖書朗読エフェソの信徒への手紙3章では、一人ひとりがキリストの体の一部として、キリストに向かって成長していくこ、お互いを大切にし合い、相手の話を聴き、語る時には、相手を活かす言葉を語ることの大切さが言われていました。まず、今日から新しく仲間との関わりを深めるために、良く聴き、相手のことを考えて良い言葉を話す人になっていきましょう。暑中見舞いの一枚に、「相手と共に悲しむより、相手と共に喜ぶことの方が実はむずかしい」と書いてくれた人がありました。本当にそうだと思います。私たちは相手と自分を比べて、相手のことを喜べないことが多い。今日から相手の話を聴いて共に喜び、相手の喜びを語る人になっていきましょう。相手のことを喜べることは、惜しみない心につながっています。私たちは、「神に愛されている者として、神に倣う者」になるように招かれています。

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